aiueoworld’s 小説

藍 宇江魚の小説 エッセイ集

僕の違和感。僕に馴染むまで-カミングアウト その1-

    去年、台湾に遊びに行けませんでした。

    コロナの影響です。

    2010年以来、ほぼ毎年行っていたのですが…。

     多分、今年も無理だろうなぁ。

    中国で日本に行きたくても行けない人々の間で『日本ロス』が広がっているそうですが、自分の場合は『台湾ロス』です。

    コロナが鎮まって、一日でも早い渡航解禁を願うばかりです。

 

   毎回、台湾に行くと大抵一週間から10日間くらい向うで過ごします。

 当初は台北市内観光したり高雄や花蓮へ足を延ばしたりしていましたが、最近では定宿に定めたホテルに泊まってブラブラと気儘に過ごしています。観光というより、そこを拠点に台北で生活しているという感じです。

 

 楽しいかって?

 

 もちろん楽しいです。

 現地の友達から呆れられていますが、自分が楽しいから好いのです。

 気儘な一人旅だから可能な過ごし方かもしれません。

 

 半ば暮らしているような台北滞在ですが、未だに慣れないものが二つあります。

 臭豆腐とバス。

 前者は毎回トライしようと思いつつ成せずに帰国し、後者は便利だと解っているけど必要に迫られないから使わずに終わるという感じですね。

 臭豆腐については嬉しい出会いにしないと一生食べない気がするので、現地の友人に美味い店へ連れてってもらおうと思ってます。

 何故、バスを使わないのか?

 台北市内だと、徒歩とMRT(地下鉄とモノレールによる都市交通網)で大体どこにでも行けて用が足りてしまうからかと思います。最近は、乗り捨てのレンタル自転車もあちこちで見掛けるようになりましたから、これが加わると増々バスに乗らないんじゃないかと感じます。

 そんなことからMRTをよく利用します。

3年くらい前になりますけどMRTの車内で珍しい光景を目にしました。

 

 ゲイのカップル、抱合ってキスです。

 

 乗り合わせた車両には自分も含めて数人だけでしたから、二人とも我慢しきれずチュッて感じになったんでしょうね。

   ひょっとして何かの撮影かと辺りを見回しましたがそんな風情は無く、幸せそうな二人の純粋な行為でした。こんな光景を目にしたのはこの時だけでしたから偶然の出来事かもしれませんが、それでも大っぴらにチュウしちゃうゲイカップルに時代の変化みたいなものを感じましたね。

 

   さて、カミングアウトについて。

 

    世の中がゲイに対してオープンになると、カミングアウトが普通に交わされるようになるのだろうかとぼんやり感じています。

    わざわざカミングアウトなんかしなくても許容されるなら、考えたり意識するようなことでもないと思いますが…。

 

    カミングアウトに対するゲイのスタンス、これは千差万別。

    きっとゲイの数だけバリエーションがあると思います。

 

    カミングアウトをするのか、しないか。

 

    それだけでも、一人ひとりで正解が異なりますね。

    リスクとメリットのみで割り切れることでもないし。

    どんな人生を送りたいかと考えた末に、リスクを覚悟の上でやると決心する場合もあるでしょうし。

    聞かされる側のことも気遣うだろうし。

    結局、『自分で決める』しかない。

    あぁ、面倒くさい。

    ゲイでなきゃ、考えなくて済むんだけど。

 

    カミングアウトする瞬間って、かなり身構えます。

 

  自分の場合はそうだったなぁ。

 そもそも自分は、ノン気にカミングアウトするなんてことは絶対にしない派に属しておりましたし、自分がゲイだということは墓場まで持ってくぞって心に固く誓っていたわけであります。

 それが今や、昔の自分はどこかへと消え去ってしまいました。

 僕が方針転換した経緯について、今回はその辺りを語ろうと思います。

 

 ゲイ以外でカミングアウトをした最初の人は、母親でした。

胸を張って自身のセクシャリティを宣言したなんて格好のイイものではなく、追い詰められた果てに言ってしまった。

 そんな感じです。

 

 では、僕を追い詰めたもの何だったのか?

 

 『お見合い』です。

 

 20~30年くらい前になります。

 当時は、男がいつまでも一人で居るとヤキモキして見過ごせなくて縁談や仲人を生き甲斐としているような人々が大勢いました。そうした人々によって、母のもとへ僕の見合い話が次々と持ち込まれました。

 まったくその気が無いので断りまくっていました。

 断り続ければ、そのうちに話が来なくなるという魂胆もありましたね。

 ところが、僕の浅はかな思惑の通りとはならず、何度断っても話が来ました。あまりにも断り続けるので、両親からは「お前は、結婚する気があるのかッ」と詰られる始末。

 僕は、曖昧な態度でのらりくらりと躱して逃げ続けました。

 そして、また話しが来る。

 悪循環の繰り返しです。

 まぁ、自分がずるくて一番悪いのです。

 圧力の強まりと共に逃げ切れなくなると、その気もないのに相手にお会いしたりする。そうすることでゲイをカモフラージュしたりする。その上、先方からお断りが入らないかなぁ等と不届きなこと願望を抱いている。

 結局、こちらからお断りすることになるのですが。

 お断り、ごめんなさいと言うと、「男の方から断るものじゃないッ」って周囲の誰かから不条理な怒られ方もされました。

 失礼極まりないことをしたと、ちょっと反省しています。

 今更ですが…。

 ゲイだって宣言しちゃえば楽なのかと思ったりもしましたけど、それで両親が肩身の狭い思いをするのは断固嫌だったので、その選択肢はNG。

 僕の将来とか幸せを気遣っての善意であり、好意からのことだと重々解かっています。

 そしてそれは、『男は、結婚して家庭を築いてこそ一人前』という根強い正義に立脚した『そうあるべき』を実現させるための行為であるとも重々理解しています。

 でも、やっぱり僕には皆さんのご期待に添えないのです。

 

 理由は2つあります。

 

 その1。

 無理に結婚して、相手の人生を無駄に消費させてしまうのって大罪です。

 自分のポリシーに反します。

 

 その2。

 家庭に嘘を持ち込むの、もう嫌です。

 僕はゲイだと自覚して以来、敬愛してやまない両親をある意味欺いてきました。

 まぁ、『ノン気としての息子』を演じ続けましたから。

 でもこれ、精神的にかなり疲れます。

 もし結婚したら、今度は『良き夫』『良き父親』ですか。

 

 無理です。

 

 スタンス曖昧のままに時を過ごす。

 これが最良の策であり、極力地雷を踏まないようにして日々を送る。

 これが、一番。

 でも、そんな逃げの人生も終焉を迎える時が遂に来たのでした。

 

 当時の僕は一人暮らしをしていましたが、家業を手伝う都合で週末は実家に戻っていました。

 ある週末、見合いを断りまくった挙句に結婚する兆しを一向に見せない僕に対して、遂に母が詰問を始めたのでした。

 今回ばかりは、いつもの手段が通用しません。

 母も結構マジで問い詰めてきます。

 

 もうこれ以上、無理…。

 

 そう観念した僕は、カミングアウトしました。

 信じられないという顔つきで、母は僕の顔を見ていました。

 結局その日は、家業の手伝いを終えると自宅へ帰りました。

 カミングアウトをして少し気が楽になりましたが、自分の荷物を母に背負わせてしまったと自己嫌悪に陥りました。

 あぁ、遂に言っちゃったなぁ、という爽快感を伴った開き直りはできたけど、自分の不甲斐なさに嫌気もさして、悶々と過ごした1週間がとても辛かったですね。

 でも次の週末に実家で再会した母からの言葉で、僕は救われました。

 

「この1週間、眠れなくて本当に辛かった。でも今まで、あなたは一人でこの辛さを抱えていたんだと思ったら、ぐっすり眠れたわ」

 

 母は強シって、本当に思いました。

 

 両親ともに戦前生まれで、何かと責任感じやすい世代です。

 父にも悩みを打ち明けられなくて。

 息子のゲイは産んだ自分のせいだと責め続ける一方で、息子のセクシャリティについて信じられないでいる。でもそれは事実として受け止めると母から言われました。

 同時に、父や他の人には絶対秘密にすることを約束させられました。まぁ、母とすればそこが妥協の限界だったのだと思います。

 

 自分にちゃんと向き合わず、逃げているとロクなことが起きない。

 

 そう悟らされた人生経験でした。

 父は、この出来事から5年後に亡くなりました。

 入院中の父と二人きりで話す機会があって、何故かその時に父から言われました。

 

「自分の好きなように生きれば良い」

 

 えっ、という感じで驚きました。

 でも父は、彼なりに僕のことを察していたのだと思います。

 父に申し訳ないなと思いつつ、とても救われた気持ちになりました。

 

 父がそう言い残したことで、今は自由な気持ちで日々を送れています。

 母も他界して二人ともこの世に居ませんが、不肖の息子のその後の人生を見て呆れ果てているのではないかと思います。

 

 ゲイなんて、つくづく面倒くさい生き方だと思います。

 

 僕の実感です。

 でも、これまでを振り返ってゲイでなければ良かったのにと思ったことは不思議と一度もなかったですね。

 ゲイというセクシャリティは僕の身体と精神の一部なのだから、その事実を否定しても意味がないと無意識にそう思っていたのかもしれません。

 やれやれ。