aiueoworld’s 小説

藍 宇江魚の小説 エッセイ集

都・死瞬 TOSISYUN

      もう、詰んだ

 

 厳冬のある日の夜。パンデミックで仕事と住む家を失った若者が、駅前広場の片隅で商業ビルの壁面を飾る大型ビジョンに流れる映像を虚ろに見ていた。

 若者の名前は、瞬と言った。

 職は見つからず。

 貯金も底を尽き。

 住んでいたマンションも追い出されてマンガ喫茶を転々する日々。

 だがそれも、緊急事態宣言によって終わりを迎え、今ではホームレス同然の生活を送る境遇となってしまった。

 外出制限のため街を歩く人の姿は絶えて、多くの店のシャッターは閉まっている。ゴーストタウンさながらの町は、不気味な静寂の中に沈んでいた。

  ニュースによれと感染者数は増加の一途らしい。

 …それなら俺も感染して、隔離されようか…

 生きるためにそう考えもしたが検査を受ける金すらが無かったので、自分自身が発熱する日を乞うように待ち続けたが、彼の思い通りにはならなかった。それどころか例年よりも早く到来した大寒波が、路頭をさまよう瞬に厳冬の凍てつきを嫌というほど味あわせた。

 …もう人生詰んだ。死んだ方が楽か…

 ニュースでネットくじの当選金額が跳ね上がっていると流れた。当選者不在で当選金が繰り越され続けているらしい。その景気の好いニュースを、瞬は他人事のように眺めた。

 スマホのバッテリー残量も僅かだった。

 …充電切れで。もう誰とも繋がれない。俺もアウトだな…

 瞬は力なく笑うと、真空の夜空に浮かぶ三日月を見つめた。

 

      ラッキーかも

 

 スマホが振動する。

 …SNS。いまさらアクセスかよ…

 期待もなくSNSを確認すると『隻眼の客引き』名乗る人物からのメッセージだった。

 …誰だよ…

 普段なら100%ガン無視。

 …めちゃ怪しい…

 削除が当たり前だが、瞬はそうしなかった。

 …ひょっとしたら、今生最後の『繋がり』になるかもしれないしさ…

 そう思い直した瞬は、『隻眼の客引き』に返信した。

『誰?』

 速攻で返信。

『客引き』

『何の?』

『何でも』

『何それ』

『望は?』

『はぁ?』

『叶えてやるよ』

『あんた。頭。イカレちゃってるね』

『信じられない?』

『変だよ。あんた』

『試してみない?』

 瞬、苦笑い。

『そんじゃ。10万円くれよ』

『金ね。好いよ』

 瞬のスマホが震えた。

 口座残高ゼロのネットバンクから10万円の振り込みを伝えるメッセージ。

振り込み依頼人は『セキガンノキヤクヒキ』。

 …マジ。こいつヤバくねぇ…

 瞬の目に更なるメッセージが映る。

『ホテルも手配しようか?』

『はあ。どうして?』

『これからさ、氷点下になるからねぇ』

『えっ?』

『折角掴んだお客さんを凍死させられないしさ』

『掴んだ客って何?』

『千載一遇のですよ』

『あんたさ、マジ怪しいよ』

『客引きですからね』

『なら、金の無い俺なんか相手にするなよ』

 スマホ画面に7桁の番号とネットくじのURL。

『今話題のネットくじ。当選番号だよ。二人の、ヒ、ミ、ツ、ね』

 気づくと、奴は既にログアウト。

 その翌朝。

 瞬は大金持ちとなった。

 

      消去リセット

 

 瞬は、当選金で都心の一等地に建つ超高層ビルの最上階のコンドミニアムを買って住む。有り余る金で全てを手に入れ、贅沢の限りを尽くして日々を過ごした。幸運な当選者としてもてはやされて時の人となった瞬の周りには有象無象の人々で溢れた。夜毎繰り広げられるパーティーは瞬の王国だった。人も物も、全てを味わい尽くし、享楽の限りを満喫した末に瞬の心を強欲が忍び寄り、魅了し、やがてそれが彼を支配した。

 …もっと金を増やしたい…

 そんな瞬の欲望を見透かすかのように得体の知れない連中が彼を取り巻き始めた。彼らは瞬に近づいては言葉巧みに儲け話や投資を持ち掛け金を巻き上げる。そう振る舞うことに長け、あらゆる手練手管を知り尽くした連中は、瞬にとってたまらなく魅力的に映った。彼らの空虚だが甘露で緩急を心得た千金の言葉が瞬の強欲と虚栄をくすぐり、それらはまるで麻薬のように彼を蝕んでいった。

 一生かかっても使い切れないと思われた金は、彼らの訪問数に比例して減っていき、やがて瞬からむしり取る金が尽きると連中は姿を見せなくなった。今はもう彼に近づく人間はおろか、手を差し伸べて助けようという人すらいなくなった。

 物もなくがらんと殺風景な空間となったリビングルームの真ん中で、夕陽に照らされて赤く染まる高層ビル群をぼんやり見つめていると、瞬の前に大勢の男たちが突然現れた。

「出て行け」

 瞬は全てを失った。

         *

  ターミナル駅前広場の一角に腰を下ろして途方に暮れる瞬のことなど、雑踏は無関心に行き交い過る。

 雲ひとつない冬の青空の下、広場を囲む商業ビル群は額縁のようにくっきりと並ぶ。

 瞬の破産と失踪を伝えるテロップが大型ビジョンの片隅で流れた。

 瞬のスマホが震えた。

 SNSに隻眼の客引きからのメッセージが届いていた。

『ネットくじ。7桁の当選番号だよ』

 彼はそれを凝視する。

『瞬くーん。死んじゃダメだからね』

 そして、ゾッと身震いした。。

          *

 年末の夕方、ターミナル駅前広場は大勢の人出で賑う。

 行き交う人々の表情には年越しを迎える準備の慌しさと、新しい年を無事に迎えられる安堵とが入り混じっていた。

 大型ビジョンで流れるワイドショーでは、謎の大金持ちによる巨額の寄付に関する話題でもちきりだった。

 瞬は広場の片隅に腰を下ろし、呆けた表情でそのワイドショーを眺めた。

 瞬のスマホが震えた。

 隻眼の客引きからのメッセージが届く。

『有り金。全部寄付しちまうとはねぇ』

 瞬、ノーコメント。

『瞬ちゃん。思い切ったね』

 瞬、無視。

『時間。有るよね』

『?』

『電話するから』

『誰に?』

『もちろん、瞬ちゃん。ちゃんと出てね』

 間髪入れず電話が掛かってきた。

「瞬くんかい。初めまして」

「は、はじめまして…」

「意外と低い声なんだ。やっぱりリアルだよね」

「どうして僕の番号を?」

「何でも知ってるさ。何でもできる立場だからね」

 …客引きって、そんなに偉いのかよ…

「でも寄付は予想外だったなぁ。理由が知りたくて電話しちゃった」

「そんなこと。SNSで良かったんじゃ?」

「肉声なら気持ち解かるしね」

「単純な理由ですよ」

「単純?」

「金を自分の思い通り使ってみたくなったからです」

「そんな理由?」

「意に添わぬ浪費に明け暮れ、大半の金を他人に騙し取られましたから。自分の思い通り金を使って、連中を出し抜いてやろうと思ったんです」

 隻眼の客引きは笑った。

          *

「瞬ちゃんって面白いね。またお金、あげるね」

「もう要らない」

「えっ。要らないの?」

「人が群がって来るだけ。金よりもあんたの『力』が好い。人を操れるし」

「増々面白いよ。今、住所送るね。明日そこで会おう」

 電話は切れ、瞬の元に住所が届いた。

 

      扉の内と外で

 

  凍える雨の降る朝、瞬は待ち合わせの場所へ向かっている。

 両側を犇き合うように立ち並ぶ居酒屋に挟まれ、路地裏の迷路の趣きの道を歩き続けた。数時間で正午となるが、どの店にも酔客で溢れていた。

 大半の酔客は瞬を無関心に無視するが、ふと目が合うと虚ろと敵意の混じった目つきで彼を睨む。曖昧だが殺気めいた気配に怯えながら、瞬は足早に先を急いだ。

 視界が開けて猥雑な小道から広い通りに出ると鎮守の森が見えた。

 雨は、霙混じりへ。

 寒さは身に染みたが、瞬は濡れる森の瑞々しさにホッとさせられる。

 隻眼の客引きは既に来ていた。

 彼は、いわゆる一般的な客引きのイメージとは全く違っていた。

 遠目にも高級とわかるカシミアのコートに身を包み、鹿革の黒い手袋を嵌めた右手で傘を差し、左手をコートのポケットに挿し入れて古い雑居ビルの前で佇んでいる。黒い眼帯が無ければ、彼がその男だと判らなかったに違いない。

 出会いの後、隻眼の客引きは瞬をビルの地下にある部屋の一番奥にある鉄の扉の前に連れて行くと言った。

「頼みを叶えてくれたら『力』をあげるよ」

「頼み?」

「この扉の向こう側から、ある物を取ってきて欲しいんだ」

「ある物?」

「『愛』だよ。今さ、一番欲しい物なんだよね」

 隻眼の客引きは扉を開いた。

「さっ。『力』欲しいでしょう。行って来て」

          * 

 瞬が勤めていた会社の近くにさり気なくお洒落で感じが良く、居心地も好くて落ち着けるコーヒーショップがあった。

 営業回りを終えて会社に戻る途中、この店でコーヒーを飲んで一息つくのことが、いつしか瞬の日課となっていた。

 12月のある日、会社に戻る途中で瞬は雨に遭った。

 鞄を傘代わりに走って会社へ向かう道中で瞬は、そのコーヒーショップに駆け込んだ。頭や服をハンカチで拭いていると、店員が温かいおしぼりを差し出した。

「ありがとう」

 おしぼりの温かさは冷え切った瞬の身体を芯から解きほぐしてくれるようだった。

「こちらも」

 乾いたタオルを受取った瞬は、彼女の顔を見てハッとする。

 それが瞬と菜々の出会いだった。

 クリスマスイブの夜、瞬は菜々にプロポーズをして二人は結婚した。

 二人の生活は単調で平凡で刺激も少なかったけれど平穏で心休まる日々だった。

 やがて二人に娘の陽菜が生まれた。

 娘が二歳の時、瞬の一家は郊外に買った中古の庭付きの家に移った。

 庭に桃の木があり季節になるとたくさんの花実であふれた。その世話をするうち収穫の喜びを知った菜々は、家庭菜園を始めた。

 全てが順調で、瞬は幸せに満ちあふれていた。

 

      幸せ死遭わせ

 

「残業入ってさ。家に着くのは8時頃かな」

「そう。クリスマスケーキは陽菜と二人で取りに行くわね」

「ごめんな」

「お仕事頑張って」

「ありがとう」

「陽菜がお話したいって」

「パパ?」

「パパだよ」

「パパ。はやくかえってきてね」

「うん。陽菜はママと良い子で待っててね」

「ひな、パパがだいすき」

「パパもだよ。また後でね」

 電話が切れる。

 瞬は、待受け画面の妻と娘の顔写真を愛おし気に見つめた。

          *

 瞬は、駅前ロータリーでバスを待っていた。

『駅のバス停。8時前かな』

 妻へSNSを送ったが、珍しく未読のままだった。きっと準備で忙しいのだろうと思い、瞬はスマホをしまった。

バス待ちで前に並ぶ高校生たちの会話を何となく彼の耳に入ってきた。

「マジかよ」

「どうした?」

「うちの近所で殺人事件が起きたって」

「えっ。それヤバくねぇ?」

          *

 殺人事件の話をしていた高校生は、瞬と同じバス停で降りた。

 妻へのSNSは、相変わらず未読のままだった。

 胸騒ぎがして瞬は駆け出す。

 騒然とする自宅前。

 野次馬たち。

 パトカーの赤灯。

 警官たち。

 制止を振り切り、瞬は家に入った。

 潰れたケーキ。

 その横で娘を下に惨殺された二人の亡骸。

「菜々。陽菜ッ」

 瞬は、何度も絶叫した。

 

      桃の花園にて

 

 鉄の扉の前で呆然と座っていたことに気づきいた瞬は、悪夢を見ていたと思った。

「愛を失ったか…」

 瞬、ハッとして振り向く。

 隻眼の客引きは、冷たい視線を彼に向けながら更に言った。

「全て扉の向うの世界で起きた現実だよ」

「う、嘘だろ」

「本当さ」

「いっ、嫌だッ」

 瞬は、妻と娘の名前を叫びながら鉄の扉を開けようとする。

「その扉は、もう君のために開くことはないよ」

「俺を。扉の向うの世界へ戻してくれ。頼む。お願いします…」

 隻眼の客引きの腰にしがみつき、瞬は懇願する。

 隻眼の客引きは瞬を引き離すと言った。

「できない」

「嘘だ」

「本当なんだ」

「俺を戻したような『力』があるじゃないか」

「人生は一度切り。誰にも、それは変えられないんだ」

         *

 隻眼の客引きは、鉄の扉を前に悄然と座る瞬の耳元で告げた。

「お別れだね」

「…」

「神社の境内を抜けると『桃花』ってコーヒーショップがあるから。行くと良いよ…」

 それを最後に隻眼の客引きの気配が消えた。

         *

 晴れて空気が暖かい。

 境内を囲む木々も清々しい。

 だが、参道を歩く瞬は虚ろだった。

 彼は『桃花』に入った。

「いらっしゃいませ」

 挨拶をする店員を見た瞬は、涙を流しながら言った。

「菜々…」

 

      まだこれから

 

 無数のベッドが並んだ白い殺風景な部屋で、機器に繋がっている何本ものチューブを頭や腕に挿し込まれてベッドに眠る瞬を、二人の男たちが見ていた。

 瞬の眦から一筋の涙が流れると、隻眼の客引きが指先でそれを拭いながら言った。

「所長。この素材は如何ですか?」

「最高の素材だよ」

 所長と呼ばれた白衣の男は上機嫌に話し続けた。

「喜、怒、欲、悪、哀。全てのエキスが豊富に採れる。『愛』が採れないのは残念だが」

「それならご心配には及びません。『愛』なら無尽蔵に絞り採れるようになりますよ」

 やにわに瞬が、寝言で女性の名を言った。

 幸せに満ちた瞬の寝顔を見て二人は、静かに微笑んだ。

 

(END)