aiueoworld’s 小説

藍 宇江魚の小説 エッセイ集

僕の違和感。僕に馴染むまで-自覚-

 僕は、ゲイです。

 こんな風にカミングアウトをする積りは全くなかったのですけどね。

 何だか最近、しがらみが無くなり、身軽になってきたこともあって隠してるのも面倒くさくなって、生活が変わるのを好機に少しずつカミングアウトを始めています。

 まぁ、その辺のことは追々と語る予定です。

 

 自分がゲイだと最初に気づいたのは、小学校5年生の時でした。

 その前年の夏、親が家を建てたので都内から埼玉に引っ越したのですが、結構これがカルチャーショックで。環境に馴染めず、友達も直ぐにはできませんでした。その結果として引きこもり気味な毎日を過ごすことになります。まぁ毎日、学校を休むことなく通ってはいましたが、精神的に自分の世界に入ってることが多くなりましてね。

 ある種の精神的な引きこもりです。

 この精神的な引きこもりが自分の日常を一変させることになります。

何かと言うと、読書の習慣がついたことでした。東京に住んでいた時は一冊も完読できなかったんですけどね。すっかり読書に目覚めました。

 

 何故、完読できなかったって?

 

 飽きちゃうんですね。

 多動性っぽいのか、注意力散漫、熱中無理、ジッとしてられなかったのです。

 現在とは真逆です。

 今は、自分の世界に入ると戻れないことの方が多いですから。

 

 何故、読書に嵌まったか?

 

 直接的な理由は、誕生日に父からプレゼントされた本を読破できたからでした。

それは岩波書店の「人間の歴史・上下」という本でしたが、内容にハマってしまいましたね。読書の楽しさを知り、読書に対する耐性というか、自分は本をちゃんと読めるんだという自信を持てたんだと思います。

 

 環境的には、1日が暇すぎてやることがなかったことが大きい。

 一人っ子なので一人時間を過ごすのが苦ではないのですが、親しい友達もなく、東京にいる頃は塾だ、習い事だの毎日でしたが、それも無くなって暇を持て余している。それで読書に走ったようです。

 それからはもう、乱書乱読に明け暮れていました。

 だから自然と、放課後に学校の図書室に通う事が日課になりました。

 そんなある日、何の本だったか覚えていないのですが、『ホモ』と呼ばれる同性愛に関する記述を見つけました。

多分、ギリシャやローマ文化に関する書籍だったように思います。

 それが端緒となって同性愛について興味関心が湧て調べまくりました。

 関連図書を読み漁り。

 一通り、同性愛についての学び、知識を得て。

 その結果、自分自身のあり様を明確に認識しました。

 

    …僕って、ホモなんだ…

 

 話しは逸れますが、最近はゲイを『ホモ』と呼ぶのは蔑称らしいですね。ただ、当時は現在のゲイに相当する形容がホモだったので、ここでは『ホモ』と形容しています。

 

 正直なところ、幼稚園生の頃から薄ぼんやりと『ホモ』の自覚はあって、その頃から、男の子の方が女の子より好きでした。だからと言って、当時からオネエキャラだったかと問われるとそんなことは無く、どこにでもいる男の子だったと思います。

 オネエキャラでもなかったし。

 今でもそのスタンスに変わりはなく、そこらに居るオッサンと変わりなく日々を送っています。

 ただ当時、子役をやらせてみたらなんて言われたことはありました。母にそう勧める人がいましたが、母は芸能関係が好きではないでよく断ってました。

そう考えると、顔立ちは整っていたかもしれません。

 まぁ、これはプチ自慢です。

 幼稚園でも小学校でも、女の子からも「好き」なんて言われたりされた記憶はありますが興味なくて、嬉しくも無かったのを覚えています。

 男の子の友達とばかり遊んでました。

 ただ、男が男を好きになるのは「オカマって言うんだからね」と周りの大人たちが侮蔑混じりに話す様子から『オカマってイケないんだ』と察して、子供心に気をつけながら過ごしていましたし、『オカマになっちゃいけないんだ』と、いじらしいく自分に言い聞かせてましたね。

 まぁ、その頃は性欲に無縁の日々でしたから。

 外で友達と遊ぶ、テレビを見て過ごすことだけで幸せな時代でしたから、何の問題なく過ごせたのですが、埼玉に越してから精神的な引きこもり状態に置かれて、嫌でも内省する時間が増えてしまいました。

 

 …どうも自分は、女子より男子に興味があるらしい…

 …オカマじゃ無いぞ…

 …ホモとオカマって違うの…

 

 自分と同性愛への好奇心が尽きません。

 そんな矢先、図書館で同性愛という自分のセクシャリティに邂逅したのでした。

 

 衝撃、ショックだったかって?

 いいえ。

 静かに、淡々と、「あぁ。やっぱり」って思いましたね。

 同時に、少しホッとしたのを覚えています。

自分の存在に対する違和感、日常に嵌まり切らない居心地の悪さのようなものを、本能的に感じていて、やっとしっくりできる居場所を見つけて安心できたのだと思います。

 

 …でも僕はホモだけど、女の人になりたいわけじゃないからオカマじゃ無いぞ…

 

 なんて、妙な強がりを心の中で思ったりもしながら。

 今思えば、何とも長閑な目覚めだったんだなと思います。

 この時を境に世間との間で新たに生じる『僕の違和感』が始まるなんて、まだその時の自分は知る由もありません。

 きっと嵐の前の静けさって、こんな雰囲気なのかもしれません。