aiueoworld’s 小説

藍 宇江魚の小説 エッセイ集

傘男

 あれは、澄み切った夜空にぽっかりと浮かぶ十三夜の十時過ぎ頃のことだった。

 駅ビルの建て替え工事のために設置された鋼鉄製の白い工事フェンスの前で、透明のビニール傘をさし、往来の人々に背を向けて佇む三人の男たちがいた。

 静かに凛と輝く月。

 曹昂に照らされて夜の景色に輝く白いフェンス。

 傘の鈍くも透明なビニール越しに歪んで映る男の後ろ姿。

 とてもシュールな光景にハッとし、思わず足を止めて彼らの姿に見入ってしまった。

 だが、不思議にも彼らへ関心を寄せる人間は皆無だった。

 駅前ロータリーでバスを待つ人々も、彼らの脇を通って家路を急ぐ人々も、誰一人として彼らへ一瞥を向けるもなかった。

 両者は互いに背を向け合って存在しているように見えた。

            *

 数日後、残業で帰宅が遅くなった。

 雨が降っているわけでもないのに透明なビニール傘をさし、背を向けて佇む男たちは十人に増えていた。

 初めて見た時と違って彼らは群れることなく、連なるフェンスに沿って点在しながら佇んでいた。

 その様子は不気味だったから他の道を通りたかったのだが、妻と二人の子供たちの待つ家に帰るにはそこを通らざるを得ない。だから、無関心を装いつつ足早にそこを通り過ぎるのだった。

 日を追うごとに、彼らは増えていった。

 十日後、彼らの数は百人を超える。

 流石にこの頃になると、人々が彼らのことを噂し始めた。

 二週間を過ぎたあたりから彼らの奇異な行動がネットで取り上げられ、いつしか『傘男』と呼ばれるようになった。

 SNSを介して傘男の様子がネットで伝搬し、その拡散と比例して傘男たちの数も急速に増えていった。

 彼等は何かを主張をするわけでもなく、誰かに危害を加えるわけでもなく、お天気とは関わりなく透明なビニール傘さし、まるで世間に背を向けるかのように白い工事フェンスの前で黙って佇み続けた。

            *

 市民たちが傘男たちに抱く不気味と不安は、彼らの増殖に比例して膨らんでいった。

関りを持ちたくない点では市当局も市民と変わりなく、様子を見ると称した日和見を決め込むんで彼らの行動を放置する。

 市民たちは怒り、抗議と非難が市当局へ殺到した。

 ある満月の夜。

 市当局の要請により重い腰を上げた警察が、傘男排除に向かった。

 警官と傘男の乱闘を期待した市民たちの野次馬が、駅前のロータリー広場に集まる。

 やがて大勢の武装警官たちが現れた。

 そして警察署長が、傘男たちに対して拡声器越しに退去を命じた。

 野次馬たちは乱闘を期待し、固唾を飲んで成り行きを見守る。

 武装警官たち。

 傘男たち。

 両者の間でピンと張り詰める緊張の空気感。

 それを遠巻きに見守る野次馬たち。

 だが事態は、あっけなく終わった。

 警察署長が警告を言い終えると、傘男たちは従順に従ってその場を立ち去って行った。

 白けた雰囲気が野次馬たちを襲う。

 無責任な興奮と期待に酔っていた彼らも毒気を抜かれ、その場を後にした。

 傘男は、その日を境に現れなくなり町の夜に静寂と平穏が戻った。

 彼らが姿を消すと、ネットでの賑わいや喧騒も鎮まって傘男の存在は過去のコンテンツと化した。

 やがて、人々を熱狂させ、一世を風靡した傘男たちの記憶も風化していった。

            *

 駅ビルが完成し、工事フェンスが完全に撤去されると、傘男は完全忘れ去られた。

 新装した駅ビルに近在の市民たちが連日殺到し、大層な賑わいを見せた。

            *

 新装スタートの日から初めて迎えた新月の夜に事件が起きた。

 再び、傘男たちが姿を現した。

 フェンスは既に無い。

だが彼らは、町のあちこちで透明なビニール傘をさして佇んだ。

 傘男たちの数は、日を追うに従って増殖した。

 

 その様子は、文字媒体で伝搬し。

 その風景は、画像媒体で四散し。

 その状況は、映像媒体として拡散しながらネットの怪異譚と日々記憶された。

 

 傘男たちの存在は確かに不気味ではあったが、彼らが市民たちへ危害を加えることもなかった。背を向け、無言で佇むだけだったから治安の悪化にも繋がらない。むしろ、傘男たちを敵視する輩によって、市民としての傘男たちへ一般市民が危害を加えることも憂慮されたが、実際にはそんなことが起きることはなかった。

 それは、傘男たち以外の市民が傘男たちを恐怖したからの結果だった。

 治安が保たれている以上、傘男たち以外の市民たちが抱く不気味は理解してはいても市当局や警察も手出しが出来なかった。

 傘男たちは増殖し続ける。

 だが、不思議な事に傘男と言われるだけあって傘女が現れることは無かった。

            *

 駅から自宅への帰り道。

 歩道の端で背を向けて佇む傘男たちの数が、日を追って増えていく。

 いつか自分や中二の長男がそうなるのではないかと不安に慄きながら、歩道を急ぐ。

 一戸建ての自宅に到着し、玄関ドアを開けて出迎えた妻と長男、そして小学二年生の娘の無事な顔をみてホッとする。

 夕飯を囲む食卓。

 妻と娘は普段通り変わらず賑やかに話しをしながら夕飯の鍋を食べているが、長男の表情には不安と恐れとが滲み出ていた。

            *

 住んでいる町(Y市)に関するネットの噂話。

 

『あれって、Y市だけだろ』

『Y市の固有の風土病だって言ってる学者もいるぜ』

『マジ。ヤバくねぇ』

『最近じゃ、YCウィルスなんて言われてるらしいぜ』

『ウィルスだなんて。デマよ』

『でも、日々増殖してるしな』

『そうだとして、罹るのって男性だけでしょ』

『そうよ。女性のあたしたちには関係ないし』

『変異するってこともあるぜ』

『Y市の連中。来ないで欲しいよな』

『うち。Y市の隣町なんだよね』

「うぇ。感染するから退出しろよ」

『するかよ』

『常識ねぇーぞ』

『そう言うオタクこそ。Y市なんじゃねぇーの』

(暫くの間、炎上)

『封鎖しろよ。Y市』

『Y市の人たち出て来ないでッ』

『隔離。隔離ッ』

 

 この後、延々とY市排斥のコメントが続いて見るのを止めた。

            *

 夜。

 歩道から溢れ出すほどに傘男が増え始めると、市内の女性たちも怯え始めた。

 彼女たちは傘男たちに怯えて夜間の外出を控えるようになる。だが事はそれで終わらず、傘男化した同居人を嫌って女性や子供たちが町を離れ始めた。

 市外へと避難した女子供たちだったが、身を寄せた先で肩身の狭い思いをすることになる。偏見の眼差しや扱いを受けるだけならまだしも、行く先々で訪問を断られて生活に支障をきたす事も珍しくなかった。

 とりわけ災難だったのは子供達で、特に男子は黴菌扱いのいじめに遭った。

            *

 ある日、会社で仕事をしている妻からSNSが届いた。

 

『パパ。暫くの間、娘を連れて実家に戻るわ』

『えっ。娘だけ?』

『一緒に行こうと言ったわよ。でもあの子、ここに居るって頑固に言い張るの』

『無理にでも連れて行けよ』

『もう無理よ。だってあの子…』

『解った。俺、これから帰るよ』

『ええ。そうしてくれる』

『もう、あたしたち。行くから…』

 

 妙な胸騒ぎを覚えた。

            *

 気分は落ち着かなかったが、仕事が立て込んでしまい帰宅は夕方過ぎとなった。

 ターミナル駅のホームで電車を待っている時から、様子が変だった。

 普段なら帰宅ラッシュで混んでいるはずのホームに人が疎らにしか居ない。

 電車も座って帰れるほど空いていた。

 車窓を過る沿線の町並みを見るうち、妙な胸騒ぎを覚え始める。

 それは、自宅の最寄り駅に近づくにつれてどんどん膨らみ、やがて根拠のない不安へと変わって行った。

 電車を降りた時、ホームに居るのは自分一人だった。

 見上げると、夜空にぽっかりと満月が浮かんでいる。

 ホームの階段を昇り、改札を抜け、階段脇に設置された下りのエスカレーターに乗ろうとして足が竦んだ。

 

 …階下が透明なビニールで埋め尽くされている…

 

 エスカレーターを駆け下り、傘男たちをかき分け、家路を急いだ。

            *

 自宅前は傘男が埋め尽くされている。

そして開いた門の間から、彼らの一部が敷地内に入り込んでいた。

 必死で辿り着いた門の支柱から中の様子を覗うと、傘男たちの向う側、玄関扉の前に息子の後ろ姿があった。

 無我夢中で傘男たちを門の外へと締め出し、門を閉めた。

 彼らは騒ぐ様子もなく、門の外で透明なビニール傘をさして背を向けて佇んでいる。

 少しホッとして後ろを向き、自分に背を向けている息子の名前を呼んだ。

 返事は無かった。

 その代わり息子は、背を向けたまま透明ビニール傘の柄を自分に付き出した。

 戸惑いを隠せないまま傘の柄を見つめていたが、ふと顔を挙げて息子を見て叫び声をあげた。

 目に映ったものは、透明ビニール傘をさす息子の後ろ姿だった。

 腰を抜かしてその場にしゃがみ、後退りする自分の背中に何かが当たる。

 恐る恐る振り向くと、自分の目の前に無数の傘の柄が突き出されていた。

 

『早く握れよ』

 

 そんな声が、耳に木霊した。

            *

 その後、どのようにしてあの場から脱出したのかを定かに覚えていない。

 気がついた時、自分は妻の実家の玄関先に居た。

            *

 傘男の蔓延はY市に限定されているようだった。

 自宅に息子を置いて妻の実家に逃避したが、同居することは拒まれた。

 仕方なく別に部屋を借りて生活を始めた。

 息子は自宅で一人暮らしをしながら中学へ通っている。

 昼間の息子はごく普通な中学生で、リモートで会話をしている時も様子は以前と変わりないが、夜になると傘男となる。

 傘男騒動の煽りで家族がバラバラとなったが、オンラインでの団欒は欠かさない。妻は、リモート家族だなんて皮肉を言うが、案外気楽で好い。

これはきっと、未来の家族形態の一つに違いない。

 平穏な日々が淡々と過ぎた。

 でも、そんな奇妙だが居心地の好い暮らしはあっけなく終わりを告げる。

 立待ち月の夜。

 改札を抜け、駅前ロータリーへと続く駅ビルの出口。

 そこへ続く階段の最上段に至り、そこから階下を見下ろすや唖然となった。

 透明なビニール傘が階下を埋め尽くしている。

 

 …傘男か…

 

 そう思ったが、瞬時のちに違うと判った。

 傘をさしているのは、全員女性だった。

 

 …この町では、傘女なのか…

 

 佇む傘女たちの中に妻と娘の姿を見つけた時、私は思った。

 

 …さて。今度はどこへ逃げようか…

 

 

(END)