aiueoworld’s 小説

藍 宇江魚の小説 エッセイ集

ワクワクする一歩先へ

      ええっ。肩透かしかよ

 

 小学校5年生の柊太です。

 新学期が始まった間もない頃、僕はLGBTの授業を受けました。

先生からアルファベットの意味を説明があって、『G』の意味で僕は気づかされたのでした。

 …あっ。僕ってゲイなんだ…

 周りを見ると、クラスメイトのみんなの反応はそれぞれでした。

 ポカンと口を開けたまま、先生の説明を聞いて居る子。

 でも、あの子たちはきっと先生の説明が解っていません。

 冷めた眼差し、ちょっと上から目線かも、そんな数人の同級生たち。

 あの子たち、そんなの知ってるよって先生をバカにしながら思ってる筈です。

 …関係無いし…

 最後に隣の席に座っている幼稚園から一緒の岡崎くんはニヤニヤして僕の顔をジッと見つめているので、ムッとして僕が睨み返すと前を向きました。

「みんな。LGBTは変じゃないんだよ。もし自分がそうだなって思って、悩んだり困ったりしたら先生に相談してね」

 へぇーっ。先生に相談するんだ。

 

 えっ、Gだと何か困る事が起きるの?

 困ることって何?

 相談すること、先生は知ってるのかな?

 だったら先生、アルファベットのどれかなの?

 先生は男だからLじゃ無い気がするけど。

 

 G?

 B?

 T?

 

 ただ、ひたすら僕の頭の中で巡り続ける疑問の無限ループ。

 我慢できず、僕は先生に何となく質問します。

「先生はGかBかTのどれかですか?」

 教室、一瞬でシーン。

 質問に少し困った様子で僕を見ながら先生は答えました。

「どれでもないよ。先生は普通だよ」

 先生がそう答え、ソワソワ騒ぎ出すクラスのみんな。

 隣の岡崎くんを見ると『しょうがないねぇーなぁ』って感じだけど、愛と憐れみとの入り混じったような上から目線で僕をジッと見ているのでした。

 クラスの雰囲気が少し微妙だったので、僕は明るくお道化ながら言いました。

「だよねー。先生はそんなんじゃないよね」

 クラスのみんなの爆笑で事なきを得ました。

 でも、この時の様子からゲイだってバレると良くないんだと直感しました。

 その日を境に僕はノン気を装って用心深く毎日を過ごすことになるのですが、バレたらどうしようとか、好きな男子に好きと告れない欲求不満、ゲイだから自分に何か禍が降りかかるんじゃ無いかというネガティブな妄想が膨脹し続けることになります。

 そしてオナニーを覚えてからは、それに一層の拍車が掛かる毎日となりました。

          *

 中学に入ると、周りの連中は誰も彼も色気づいて異性の話で大騒ぎです。

 みんな、素直に楽しそう。

 でも僕は、そんな彼らと話しを合わせるのに結構疲れます。

 悶々と続く欲求不満。

 つくづくゲイなんて嫌だと思うけど、ゲイはゲイなんですよねぇ。

 

 …一人孤独に悶々とする循環サイクル。いつまで続くんだ…

 僕の溜息。

 …僕だって素直にアイドル話で盛り上がりたい。アイドルは男だけど…

 僕のボヤキ。

 …そんな会話で盛り上がれる友達、欲しいなぁ…

 僕の切実。

 …居たとしても、僕が嫌いな奴だったら出会いたくないな…

 僕の上から目線。

 …そうか。この悩みを先生に相談すれば良いのかぁ…

 僕のグッドアイデア

 …でも秘密を知られて変なことされたらどうする…

 僕の妄想。

 …万一そうなっても好い、タイプの先生って。うーん、皆無…

 僕の勝手な選別。

 

 あぁ。ダメだ、ダメ。

 このネガティブな循環サイクルを断たないと、僕の人生は真っ暗だ。

 現在の僕に一番必要なことは『自分の変革』。

 そう、日常の何かを変えて『一歩、踏み出す』、これが必要なんだ。

 それで僕は、決心したのでした。

 …カミングアウトする…

 先ず家族からだ。

 木曜日。

 珍しく家族全員が揃った夕食のあと、僕は両親に話し始めました。

「パパとママに話したいことがあってさ」

 うん、という感じでパパは僕を見ています。

 ママは、弟がこぼさないように食べさせながら僕をチラ見。

「実は、僕…」

 両親は黙って僕を見つめます。

「僕さぁ。ゲイなんだ」

 僕の顔をポカンと見つめる両親。

 幼過ぎる妹と弟、食後のプリンに夢中。

 長い長い沈黙のあとで父が言いました。

「へえー。そうなの?」

 続いて、母。

「近頃、珍しくないわよ。元気出しなさい」

 それで、終わりました。

 その後、父はスマホで仕事の報告確認を始め。

 母は食事の後片付け。

 妹はタブレット端末でゲームに熱中。

 弟はテレビでお気に入りのアニメに夢中。

 僕はダイニングテーブルに一人残されて、ぼんやり思いました。

 …えっ。これで終わり…

 こうして僕の人生初の重大告白は、見事な肩透かしで終わったのでした。

 

      ゆるく拍子抜けの日々

 

 僕は、家族の次は友達だと覚悟を決めたのですが、いざ友達を前にすると中々言い出せるものではありません。

 話す機会を逃して迎えた週末。

 僕は、自分の不甲斐なさで落ち込み悶々と過ごしました。

 月曜日の朝。

 僕は目覚めたとき、何の根拠も無く決断しました。

 …昼休み。僕は絶対カミングアウトする…

 親友の岡崎ら5名が女子ネタで騒いでいたのでさり気なくそれに加わり、僕は話す機会を待ちました。

 女子ネタが途切れ、満腹の睡魔で連中に忍び寄り場がまったりしました。

 …絶好のチャンス…

 そして遂に、僕は切り出したのでした。

「あのさぁ。みんなに話しがあってさ」

 眠そうな五人を代表して、岡崎が返事をします。

「なに?」

「実は、俺さぁ…」

「…」

 僕を見つめる岡崎の瞼は、他の連中と同様に今にも閉じてしまいそうです。

「実は俺、ゲイなんだよね」

 眠そうだけどキョトン顔の五人が僕を見つめます。

 白々とした雰囲気。

 ドキドキする僕。

 全て想定通り。

 そんな沈黙を破ったのは、岡崎でした。

「それで?」

「だ、だから。俺。ゲイで…」

「そんな事かよ」

「えっ。だってゲイなんだよ」

「今どき。珍しくねぇーし」

「…」

 五人の内、二人は突っ伏して眠り。

「それにさ」

「なに?」

 溜息混じりに岡崎は続けます。

「もう。みんな知ってるよ」

「えっ。何で?」

「俺がバラしといたから」

 僕は、アウター岡崎を唖然として見つめます。

「俺の弟とさぁ、お前の妹って幼稚園が一緒ジャン」

「?」

「お前の妹。幼稚園で無邪気にバラしてたぜ」

「嘘ッ…」

 大欠伸の後、岡崎は続けます。

「弟から聞いて。やっぱりなって思ったよ」

「やっぱり?」

「お前さぁ。幼稚園で俺の手、ずっと握ってたろ」

「…」

「そのこと話したら。みんな納得してた」

 四人、頷く。

「まぁ気にしなくて良いんじゃね。みんな、それほど関心ねぇーから」

 午後の授業の始まりを告げるチャイムが教室に鳴り響くでした。

 

      緊急事態宣言発令かよ

 

 4月から僕は高校生となりました。

 何故か岡崎も同じ高校に入り、クラスまで一緒でした。

 腐れ縁です。

 部活を決めようと言う頃に僕は、一緒に美術部へ入部しようと岡崎から執拗に誘われます。

 奴の目当ては美術部の女子たち。

 僕は、奴の魂胆を隠すカモフラージュ。

「柊太って、女子興味ゼロじゃん」

 ムカつくけど、正しい。

「だから美術部の女子の取り合い起きないし」

 浮かれる、岡崎。

「でも俺、バスケとかサッカーの方が…」

「無理無理」

「決めつけるなよ」

「運動神経。持久力。ともに女子興味と並んでゼロじゃん」

 悔しいけど、納得。

「まぁさ。見学だけでも良いから付き合えよ」

 渋る僕を拉致した岡崎によって美術室へ連れて行かれたのでした。

          *

 美術室出入り口に設けられた入部見学者の受付席。

 僕はそこで、三年生の三上先輩と運命の出会いをしたのでした。

 …うわぁ。メチャタイプ…

 三上先輩が僕らに美術部の説明をしてくれました。

 先輩に見とれている僕。

 岡崎ではなく、僕に熱心な説明をしてくれる三上先輩。

 僕と岡崎先輩に挟まり、僕ら二人の世界を呆れて見続ける岡崎。

「柊太さぁ。絵を描くのは初めて?」

「えっ。あ、はい。初めてです」

「入部したら、俺がちゃんと教えてやるから」

「えっ。本当ですか?」

「もちろん。だから入部しなよ」

「えっ。でも…」

 僕は、お約束の躊躇う素振りをしながら岡崎を見て。

「岡崎。どうする?」

「はっ?」

 岡崎、素っ頓狂な声。

「お前、入部するだろう?」

 コイツなんだよ、と言う感じの眼差しで岡崎は僕を見ます。

「岡崎。一緒に入部しようよ」

「まぁ。良いけど」

 こうして僕と岡崎は、美術部へ入部したのでした。

          *

 翌日の放課後から、三上先輩によるワンツーマン指導が始まります。

 二人の世界に誰も何も言えません。

 僕の初恋。

 ちなみに岡崎は二年生の中でも比較的可愛い浅田先輩の指導を受けて、何だかウキウキしているみたいでした。

 ある日の放課後。

 岡崎は用事で部活を休み、僕は岡崎先輩と二人で絵を描いていました。

「柊太ってさぁ、岡崎と仲いいよな」

「そうっすか?」

「ひょっとして付き合ってる?」

「まさか。幼馴染ですよ」

「そっか。ところで柊太、好きな人とかいる?」

 僕は、三上先輩をガン見しました。

 先輩、と言うより早く告られてしまい。

 …それで先輩。熱心に教えてくれたんだ…

 そして、僕らは付き合いました。

 でも結局、僕と先輩とはキス止まりで終わっちゃいました。

 別れた理由ですか?

 きっと、僕が絵に夢中になり過ぎたからですね。

 …絵って、自由に自分を表現できる…

 そう気づいたら、止まんなくて。

 先輩も受験で部活引退し、会う機会も減って。

 自然消滅してました。

 別れた痛手より、絵を描く悦びの方が勝っちゃたんですね。

 それまでは、自分と周囲が何となく噛合わなくってもどかしかったんですね。

 カミングアウトでは、親や友達の無関心で肩透かし。

 ゲイだからといって恐れ慄いていたイジメにも遭うことも無く平和に過ごせ。

 挫折も無く。

 平穏で順調な毎日。

 不満や不足もないけれど。

 三上先輩ともラブラブで幸せいっぱい。

 でも、心に拭い切れない違和感を覚えてしまう。

「じゅあ。毎日が楽しくないわけ?」

 岡崎にそう聞かれ、僕は答えます。

「楽しいよ」

「なら、好いじゃん」

「そうだね」

 『問題無しッ』って笑顔を浮かべて僕は岡崎との会話を終えるのですが、本音は無性にイライラしてしまう。

 真綿に包まれて心地好い日々だけど、気がつかない内に真綿に絞め殺されてるんじゃないかなんて恐怖と不安に駆られもする。出口の見つからない荒野を彷徨い続ける不快ってこんな感じなのかなと思ったりもします。

 でも絵を描いている時、僕は解放され自由になれました。

   高校二年生の春、僕の絵が市主催の絵画展で入選しました。

賞を取れたことは素直に嬉しかったけど、それ以上に僕の作品に対する反応があったことが、誰かが自分に向き合ってくれているような気がしてホッとしました。

 それで僕は美大への進学を決めたんです。

 入選を祝う食事を家族で過ごしていた時、僕は美大志望を両親に言いました。

 …すんなりOKだよね…

 気軽に考えていた僕の予想は見事に外れ、それこそ緊急事態宣言発令クラスの反対に遭うのでした。

 反対する中心人物は父です。

「ダメだ」

「何で?」

「才能ない」

 父の一方的な否定に、僕はカチッと切れる寸前。

「才能ないって何で判るわけ?」

「判る」

「無関心なくせに」

「何ッ」

「カミングアウト。スルーしたよねッ」

「…」

「無関心が、勝手なこと言うなッ」

 にらみ合う僕と父。

「他の学部にしろ」

 父親は二階へ。

 母親は無表情。

 弟と妹は震えてました。

 

      時には逃げるのも大事

 

「期末試験も終わったなぁ」

隣りで座る岡崎が、描きながら話しかけてきました。

「そうだな」

 僕は、何だか気も漫ろです。

「来週から夏休みだぜ」

「だな…」

 心の中で溜息をつく、僕。

「柊太さぁ。夏休みどうすんの?」

「別に。普通だけど」

「進路の事で親父さんと揉めてるって?」

「えっ?」

 …何で知ってる…

「家の雰囲気。気まずいらしいじゃん」

 弟と妹の顔が真っ先に浮かびました。

 …どっちが言いふらした…

「平気さ。単身赴任中で家に居ないし」

 強がって言いはしたものの、僕が家で浮いることは否めません。

「ウチへ逃げて来ても良いぜ」

「はぁ?」

「時には逃げるのも大事じゃん」

 僕は、岡崎の顔を穴が開くほど見つめてしまいました。

 今まで気づかなかったのですが、岡崎に関してあることに気づきます。

 …こいつ、意外と美形かも…

 なんだかヤバい雰囲気。

 それもあってか、僕は思わず言ってしまいました。

「口説いてる?」

 岡崎は僕をジッと見つめると静かに告げました。

「違うな。腐れ縁の誼で心配してるだけさ」

「そっか」

 期待はしないものの、ちょっとガッカリした僕でした。

          *

「亮子さんの家に行ってくれない?」

 夏休みが始まって間もなく、僕は母親から言われました。

亮子さんとは盛岡で一人暮らしをしている母方の祖母のことです。

 母は昔から祖母を亮子さんと呼んでいて、僕もそう呼んでいます。

「亮子さん。どうしたの?」

「足を挫いたらしいのよ」

「えっ」

「本人は大丈夫って言うけど、いつもの強がり,ね」

 母には厳しい祖母も僕には優しいです。

 夏休みになると、長い時で一ヶ月、短い時でも一週間ほどを祖母の家で過ごすことが毎年の恒例で、八月のお盆時に行ってました。

「来年、受験で行けないでしょ」

 母は、それと無く僕を亮子さんの家へ差し向けようとしているのは解ります。

 …時には逃げるのも大事…

  ふと、岡崎の一言が過りました。

「亮子さん。きっと喜ぶわ」

 こうして僕は、少し早めではありますが夏休みを盛岡で過ごすことにしたのでした。

          *

「スイカ切ったから食べない?」

 キャンバスを置いたイーゼルの横で昼寝中の僕を、亮子さんはそう言って起しました。

「冷えてるかしら?」

 僕の様子を覗う亮子さん。

「うん。美味しい」

「そう。良かった」

 亮子さんは、僕の描きかけの絵を繁々と見て尋ねます。

「庭の絵ね」

「うん」

「上手ね」

「そう?」

 内心嬉しいくせに、わざと素気なく振る舞う僕。

「去年より上手くなったんじゃんない?」

「そうかなぁ…」

 僕は笑顔で答えた。

「そうそう。これ、行ってみたら」

 亮子さんは、僕に絵の展覧会のチケットを差し出しました。

松本竣介回顧展?」

クリーニング屋さんで貰ったの」

「亮子さん、行かないの?」

 縁側の向う側で夏の太陽に照らされてギラギラ輝く庭を、亮子さんは眺めた。

「暑いじゃない。あたしは遠慮しとくわ」

 そう言って、西瓜を美味しそうに頬張った。

 渡されてチケットを見ている僕に、亮子さんは続けて言った。

「その絵描きさん、盛岡にゆかりの画家なんですって」

 

      本当にやりたいのかよ

 

 その日は盛岡にしては珍しく猛暑でした。

県立美術館へ向かうバスで、僕は松本竣介についてスマホで調べました。

 

・戦前から終戦直後にかけて活動した画家

・旧制中学に入学した13歳の時に聴力を失う

・都会風景を好んで描いた

・代表作『街(1936年)』『立てる像(1942年)』『Y市の橋(1943年)』

・1948(昭和23)年6月、結核により逝去

・36歳

 

 僕→岡崎:SNS開始。

『画家の松本竣介。知ってる?』

『知らん』

『そう』

『なんで?』

『回顧展。観に行く』

『盛岡?』

『県立美術館』

『盛岡生まれ?』

『育ったらしい』

『ふーん。興味あんの?』

『チケット。亮子さんに貰った』

(NO反応)

(2分40秒経過)

(返信あり)

『松本さんの絵。好きだな』

『マジ?』

『何が?』

『お前が他人の絵を褒めた』

『柊太の絵を褒めないだけだ』

『失礼な』

『でもさ。きっと柊太、気に入るよ』

松本竣介の絵?』

(頷くコアラキャラ)

『なんで判る?』

『判るさ』

『?』

『腐れ縁だもん』

『はぁ?』

『間違いない』

 僕→岡崎:SNS終了。

 灼けるような日差しに輝く車窓を過る景色は見ていると目が痛くなりました。

          *

 来場者は意外と少なく、僕は絵をゆっくり観て回れました。

初期代表作の『街』や晩年の代表作である『Y市の橋』を見た後、最後の部屋に展示されている『立てる像』を観ました。

僕はその作品にすっかり魅了されました。

曇天の昼空の下に広がる都会と道。

その真ん中で大地をどっかり踏みしめ立つ青年。

強い意志を感じさせる眼差し。

 絵の傍らに一編の詩が掲示されていました。

 

『絵筆をかついで

 とぼとぼと

 荒野の中をさまよへば

 初めて知った野中に

 天に続いた道がある

 自分の心に独りごとをいひながら

 私は天に続いた道を行く』

 

「これは、松本竣介が16歳の冬に書いた詩です」

「えっ」

「あっ。ごめんね。急に話し掛けちゃって。学芸員の日村です」

「あぁ。僕、中村柊太です」

「詩。気に入りました?」

「はい。元気が出ます」

「彼の決意が伝わったかな」

「決意?」

「詩を書いた翌年。中学を退学して彼は画家への道を進んだんですよ」

「スゴイ…」

「うん?」

「自分の年齢と大して違わないのに自分の進む道が決まってるなんて。羨ましい」

「さぁ。それはどうかな」

 日村さん、『立てる像』を見ながら。

「彼は、音を色でしか伝えられない世界に生きていたからね」

「色だけの世界ですか?」

「そう。だから、絵だけが自分を伝えられる唯一の手段だったんじゃないかな。彼にとって絵描きになることは一番現実的な選択だったんだと思うよ」

 …俺って、何で美大を志望したんだっけ…

 何故かその時、僕はそんな風に感じたのでした。

 日村さんは続けて言いました。

「絵でなら自分らしく何かを出来ると、そう思ったんじゃないかな」

「どうして、そんな風に思えるんですか?」

「多分、自分を信じると決めたんだろうね」

 僕は『立てる像』を見ました。

「この作品からも彼の決意が感じられるんだ」

「決意?」

「生きてる限り、自分の絵を描くことを止めないぞってことかな」

「戦争中だったんですよね?」

「戦争を止める理由にしてたまるかって、そう思ったんじゃない」

 

      僕の視界が開けたとき

 

 美術館から戻ると、居間で亮子さんは絵を見ていました。

「あら。お帰りなさい。楽しかった?」

「うん。勉強にもなったし」

「そう」

 キャンバスに描かれている女性を指さして、僕は訊きました。

「この人、誰?」

 亮子さんは悪戯っぽく笑って言った。

「誰かに似てない?」

 見覚えのあるような、でも誰かは判然としません。

「綾乃よ」

「えっ。ママ?」

「昔は可愛かったんだけどね」

 屈託なく笑う祖母の隣で僕は、絵のサインに目を止めます。

「K・NAKMURAって誰?」

「あら嫌だ。克彦さんのことじゃない」

「ええッ」

「あなたのパパ。画家志望だったのよ」

 仕事中毒の父しか知らない僕にとって、それは驚愕の事実でした。

「才能あり。展覧会で入選し。有望だったの。でも、事情があって断念したの」

「…」

「知らなかったの?」

 僕は黙って頷きました。

「克彦さんって、プロの世界の厳しさを解ってた人だから。猛反対したのね」

父の絵をジッと見つめている僕へ亮子さんが言います。

「自分の人生よ。ちゃんと自分で決めなさい」

 

      描くのに理由必要かよ

 

 母→僕:SNS開始。

『えっ。マジ?』

 父が盛岡に来るらしい。

『日帰り出張ですって』

 返信に窮しました。

『良い機会よ。二人で話して』

 母→僕:SNS終了。

          * 

 結局、僕は父と県立美術館で会うことになったのですが、ぎこちない親子関係はそのままです。父が二人分のチケットを買い、僕らは中に入るのですが他人のように別々に絵を観ました。

 でも、とうとう『立てる像』の前で鉢合わせとなります。

 その絵の前で僕と父は不自然な沈黙で鑑賞するのでしたが、不意に父が言いました。

「懐かしいなぁ」

 それは、初めて目にした父の表情でした。

「好きなの?」

「この絵を見たくて神奈川の美術館に通ったよ」

「そうなの?」

「若い頃の話だけどな」

 そして僕を見て言いました。

「無関心では無かったんだ」

「えっ?」

「カミングアウトの時さ」

「じゃあ、何?」

「どう向き合ったら良いのか分からなかった」

「…」

「何しろ、初体験だったし」

 済まなそうな顔つきで、父は続けた。

「ごめんな」

「初体験って言うけど。意味が違う気がするんだけど」

「そっか…」

 どちらも、苦笑いです。

 父はまた、『立てる像』に目を向けました。

「父さん。美大で勉強してたって?」

「亮子さんから聞いたのか?」

「うん。事情があって諦めたって」

「事情か。やっぱり亮子さんは優しい人だ」

「違うの?」

「行き詰ったんだ。それで諦めたんだ」

 そう言う父の横顔は、不思議と淋しそうではありませんでした。

「もう描かないの?」

 その問いに父は答えず、逆に聞かれました。

「絵は好きか?」

「好き以上かな」

「?」

「僕を説明するに最適な手段だから」

「そっか」

 そして父は、ふと呟きました。

「絵を描くことを止める理由もないよな」

 『立てる像』を観る父の眼差しは、いつになく穏やかでした。

 

      ワクワクする一歩先へ

 

 僕は、美大の合格発表者の中に自分の受験番号を見つけた。

 …合格した…

 嬉しさに酔いしれる僕の肩を、誰かが叩きました。

 振り返ると、そこに岡崎が居ました。

「よッ」

「な、何で、お前がここに居るの?」

「そりゃぁ、ここに合格したからな」

「はぁッ?」

「どうやら俺たち、もう四年間一緒らしいぜ」

「ふんっ。同じ大学ってだけで学部とか違うだろ」

 嫌な予感を覚えつつも、僕は強がって見せます。

「学部。一緒だぜ」

「えっ…」

 予感的中です。

「柊太と一緒に勉強できる。ワクワクするよな」

 岡崎は、ベタベタと僕の肩に手を回そうとします。

 僕はそれを撥ね退けて言いました。

「するかッ」

 ニヤニヤ笑う、岡崎。

「つれないなぁ」

「うるさい」

「ヨロシクな。俺の腐れ縁。柊太」

          *

 僕→母:SNS開始。

『合格したよ』

『おめでとう。良かったわね』

『父さんは?』

『自分の部屋に籠ってるわよ』

『仕事?』

『いいえ』

『ゲーム?』

『違うわよ』

『?』

『絵を描いてるわ』

『そうなんだ』

『どうしたのかしら。ずっと止めてたのに』

『知らない』

『(笑)』

『じゃあ、父さんに云っといて』

『何を?』

美大に合格したって』

『嫌よ。自分で言って』

『それなら帰って言うよ』

『今、電話すれば良いじゃない』

『邪魔したくない』

『そんなこと言って』

『絵、観て帰る』

『えっ?』

『夜、ちょっと遅くなるかも』

『お祝いの夕飯を支度してるのよ』

『それまでには戻るから』

『美術館、東京?』

『神奈川』

 僕→母:SNS終了。

          *

 僕は、神奈川の美術館へ『立てる像』を観に行きました。

 本当は一人で観るつもりが、どこからか湧いて現れた岡崎と観るハメに…。

          *

 絵の傍ら添えられた作者のコメントにはこうありました。

 

『絵を描くことが好きでありながら、

 画家になる望みを一度も持たなかった僕が、

 十四歳で聴覚を失い、

 この道に踏み迷い十五年の迂路を経た今日、

 やうやく、

 絵画を愛し、

 それに生死を託することの喜びを知り得たといふこと。

 それが、

 今、

 言い得る唯一の言葉です』

 

 …今日から、僕のワクワクする一歩先が始まる…

 絵を前にして僕はご機嫌です。

 そんな僕へ岡崎が話しかけてきます。

「なぁ。この絵の顔、柊太に似てねぇ?」

 …もう。折角の好い気分が…

「そう?」

「だから俺、この絵が好きなんだね」

「?」

 ふと見ると、岡崎は僕を見つめています。

「柊太のこと。好きだよ」

「!」

 …なんで。今、告る…

「あぁ。やっと告れてスッキリした」

「?+?」

 …僕はモヤモヤなんだけど…

「柊太。俺のこと好きだろ?」

「…」

 岡崎の真剣な眼差しに僕は金縛りです。

「まぁ。好きだけど」

 …いいや。その。好きは、好きだけど。その好きとは違って…

「俺たち付き合おうッ」

 僕の返事より先に岡崎は、僕を抱締めました。

 奴の体温が何だか温かく。

 バク打つ彼の心臓の鼓動が、僕の胸に伝わります。

 岡崎にギュウされると身体の力が何だか抜けて。

 僕は苦笑です。

 立てる像に目をやると、それまで遠くを力強く見通すような眼差しが僕らを呆れてみる眼差しへと変わったように見えて。

 ふと、僕は思うのでした。

 …ワクワクする一歩先って、予測不能だわ…

 岡崎のギュウが更に強まって。

 僕もまた、奴をギュウするのでした。

 …まぁ、それも好いっか…

僕の違和感。僕に馴染むまで-カミングアウト その1-

    去年、台湾に遊びに行けませんでした。

    コロナの影響です。

    2010年以来、ほぼ毎年行っていたのですが…。

     多分、今年も無理だろうなぁ。

    中国で日本に行きたくても行けない人々の間で『日本ロス』が広がっているそうですが、自分の場合は『台湾ロス』です。

    コロナが鎮まって、一日でも早い渡航解禁を願うばかりです。

 

   毎回、台湾に行くと大抵一週間から10日間くらい向うで過ごします。

 当初は台北市内観光したり高雄や花蓮へ足を延ばしたりしていましたが、最近では定宿に定めたホテルに泊まってブラブラと気儘に過ごしています。観光というより、そこを拠点に台北で生活しているという感じです。

 

 楽しいかって?

 

 もちろん楽しいです。

 現地の友達から呆れられていますが、自分が楽しいから好いのです。

 気儘な一人旅だから可能な過ごし方かもしれません。

 

 半ば暮らしているような台北滞在ですが、未だに慣れないものが二つあります。

 臭豆腐とバス。

 前者は毎回トライしようと思いつつ成せずに帰国し、後者は便利だと解っているけど必要に迫られないから使わずに終わるという感じですね。

 臭豆腐については嬉しい出会いにしないと一生食べない気がするので、現地の友人に美味い店へ連れてってもらおうと思ってます。

 何故、バスを使わないのか?

 台北市内だと、徒歩とMRT(地下鉄とモノレールによる都市交通網)で大体どこにでも行けて用が足りてしまうからかと思います。最近は、乗り捨てのレンタル自転車もあちこちで見掛けるようになりましたから、これが加わると増々バスに乗らないんじゃないかと感じます。

 そんなことからMRTをよく利用します。

3年くらい前になりますけどMRTの車内で珍しい光景を目にしました。

 

 ゲイのカップル、抱合ってキスです。

 

 乗り合わせた車両には自分も含めて数人だけでしたから、二人とも我慢しきれずチュッて感じになったんでしょうね。

   ひょっとして何かの撮影かと辺りを見回しましたがそんな風情は無く、幸せそうな二人の純粋な行為でした。こんな光景を目にしたのはこの時だけでしたから偶然の出来事かもしれませんが、それでも大っぴらにチュウしちゃうゲイカップルに時代の変化みたいなものを感じましたね。

 

   さて、カミングアウトについて。

 

    世の中がゲイに対してオープンになると、カミングアウトが普通に交わされるようになるのだろうかとぼんやり感じています。

    わざわざカミングアウトなんかしなくても許容されるなら、考えたり意識するようなことでもないと思いますが…。

 

    カミングアウトに対するゲイのスタンス、これは千差万別。

    きっとゲイの数だけバリエーションがあると思います。

 

    カミングアウトをするのか、しないか。

 

    それだけでも、一人ひとりで正解が異なりますね。

    リスクとメリットのみで割り切れることでもないし。

    どんな人生を送りたいかと考えた末に、リスクを覚悟の上でやると決心する場合もあるでしょうし。

    聞かされる側のことも気遣うだろうし。

    結局、『自分で決める』しかない。

    あぁ、面倒くさい。

    ゲイでなきゃ、考えなくて済むんだけど。

 

    カミングアウトする瞬間って、かなり身構えます。

 

  自分の場合はそうだったなぁ。

 そもそも自分は、ノン気にカミングアウトするなんてことは絶対にしない派に属しておりましたし、自分がゲイだということは墓場まで持ってくぞって心に固く誓っていたわけであります。

 それが今や、昔の自分はどこかへと消え去ってしまいました。

 僕が方針転換した経緯について、今回はその辺りを語ろうと思います。

 

 ゲイ以外でカミングアウトをした最初の人は、母親でした。

胸を張って自身のセクシャリティを宣言したなんて格好のイイものではなく、追い詰められた果てに言ってしまった。

 そんな感じです。

 

 では、僕を追い詰めたもの何だったのか?

 

 『お見合い』です。

 

 20~30年くらい前になります。

 当時は、男がいつまでも一人で居るとヤキモキして見過ごせなくて縁談や仲人を生き甲斐としているような人々が大勢いました。そうした人々によって、母のもとへ僕の見合い話が次々と持ち込まれました。

 まったくその気が無いので断りまくっていました。

 断り続ければ、そのうちに話が来なくなるという魂胆もありましたね。

 ところが、僕の浅はかな思惑の通りとはならず、何度断っても話が来ました。あまりにも断り続けるので、両親からは「お前は、結婚する気があるのかッ」と詰られる始末。

 僕は、曖昧な態度でのらりくらりと躱して逃げ続けました。

 そして、また話しが来る。

 悪循環の繰り返しです。

 まぁ、自分がずるくて一番悪いのです。

 圧力の強まりと共に逃げ切れなくなると、その気もないのに相手にお会いしたりする。そうすることでゲイをカモフラージュしたりする。その上、先方からお断りが入らないかなぁ等と不届きなこと願望を抱いている。

 結局、こちらからお断りすることになるのですが。

 お断り、ごめんなさいと言うと、「男の方から断るものじゃないッ」って周囲の誰かから不条理な怒られ方もされました。

 失礼極まりないことをしたと、ちょっと反省しています。

 今更ですが…。

 ゲイだって宣言しちゃえば楽なのかと思ったりもしましたけど、それで両親が肩身の狭い思いをするのは断固嫌だったので、その選択肢はNG。

 僕の将来とか幸せを気遣っての善意であり、好意からのことだと重々解かっています。

 そしてそれは、『男は、結婚して家庭を築いてこそ一人前』という根強い正義に立脚した『そうあるべき』を実現させるための行為であるとも重々理解しています。

 でも、やっぱり僕には皆さんのご期待に添えないのです。

 

 理由は2つあります。

 

 その1。

 無理に結婚して、相手の人生を無駄に消費させてしまうのって大罪です。

 自分のポリシーに反します。

 

 その2。

 家庭に嘘を持ち込むの、もう嫌です。

 僕はゲイだと自覚して以来、敬愛してやまない両親をある意味欺いてきました。

 まぁ、『ノン気としての息子』を演じ続けましたから。

 でもこれ、精神的にかなり疲れます。

 もし結婚したら、今度は『良き夫』『良き父親』ですか。

 

 無理です。

 

 スタンス曖昧のままに時を過ごす。

 これが最良の策であり、極力地雷を踏まないようにして日々を送る。

 これが、一番。

 でも、そんな逃げの人生も終焉を迎える時が遂に来たのでした。

 

 当時の僕は一人暮らしをしていましたが、家業を手伝う都合で週末は実家に戻っていました。

 ある週末、見合いを断りまくった挙句に結婚する兆しを一向に見せない僕に対して、遂に母が詰問を始めたのでした。

 今回ばかりは、いつもの手段が通用しません。

 母も結構マジで問い詰めてきます。

 

 もうこれ以上、無理…。

 

 そう観念した僕は、カミングアウトしました。

 信じられないという顔つきで、母は僕の顔を見ていました。

 結局その日は、家業の手伝いを終えると自宅へ帰りました。

 カミングアウトをして少し気が楽になりましたが、自分の荷物を母に背負わせてしまったと自己嫌悪に陥りました。

 あぁ、遂に言っちゃったなぁ、という爽快感を伴った開き直りはできたけど、自分の不甲斐なさに嫌気もさして、悶々と過ごした1週間がとても辛かったですね。

 でも次の週末に実家で再会した母からの言葉で、僕は救われました。

 

「この1週間、眠れなくて本当に辛かった。でも今まで、あなたは一人でこの辛さを抱えていたんだと思ったら、ぐっすり眠れたわ」

 

 母は強シって、本当に思いました。

 

 両親ともに戦前生まれで、何かと責任感じやすい世代です。

 父にも悩みを打ち明けられなくて。

 息子のゲイは産んだ自分のせいだと責め続ける一方で、息子のセクシャリティについて信じられないでいる。でもそれは事実として受け止めると母から言われました。

 同時に、父や他の人には絶対秘密にすることを約束させられました。まぁ、母とすればそこが妥協の限界だったのだと思います。

 

 自分にちゃんと向き合わず、逃げているとロクなことが起きない。

 

 そう悟らされた人生経験でした。

 父は、この出来事から5年後に亡くなりました。

 入院中の父と二人きりで話す機会があって、何故かその時に父から言われました。

 

「自分の好きなように生きれば良い」

 

 えっ、という感じで驚きました。

 でも父は、彼なりに僕のことを察していたのだと思います。

 父に申し訳ないなと思いつつ、とても救われた気持ちになりました。

 

 父がそう言い残したことで、今は自由な気持ちで日々を送れています。

 母も他界して二人ともこの世に居ませんが、不肖の息子のその後の人生を見て呆れ果てているのではないかと思います。

 

 ゲイなんて、つくづく面倒くさい生き方だと思います。

 

 僕の実感です。

 でも、これまでを振り返ってゲイでなければ良かったのにと思ったことは不思議と一度もなかったですね。

 ゲイというセクシャリティは僕の身体と精神の一部なのだから、その事実を否定しても意味がないと無意識にそう思っていたのかもしれません。

 やれやれ。

僕の違和感。僕に馴染むまで-自覚-

 僕は、ゲイです。

 こんな風にカミングアウトをする積りは全くなかったのですけどね。

 何だか最近、しがらみが無くなり、身軽になってきたこともあって隠してるのも面倒くさくなって、生活が変わるのを好機に少しずつカミングアウトを始めています。

 まぁ、その辺のことは追々と語る予定です。

 

 自分がゲイだと最初に気づいたのは、小学校5年生の時でした。

 その前年の夏、親が家を建てたので都内から埼玉に引っ越したのですが、結構これがカルチャーショックで。環境に馴染めず、友達も直ぐにはできませんでした。その結果として引きこもり気味な毎日を過ごすことになります。まぁ毎日、学校を休むことなく通ってはいましたが、精神的に自分の世界に入ってることが多くなりましてね。

 ある種の精神的な引きこもりです。

 この精神的な引きこもりが自分の日常を一変させることになります。

何かと言うと、読書の習慣がついたことでした。東京に住んでいた時は一冊も完読できなかったんですけどね。すっかり読書に目覚めました。

 

 何故、完読できなかったって?

 

 飽きちゃうんですね。

 多動性っぽいのか、注意力散漫、熱中無理、ジッとしてられなかったのです。

 現在とは真逆です。

 今は、自分の世界に入ると戻れないことの方が多いですから。

 

 何故、読書に嵌まったか?

 

 直接的な理由は、誕生日に父からプレゼントされた本を読破できたからでした。

それは岩波書店の「人間の歴史・上下」という本でしたが、内容にハマってしまいましたね。読書の楽しさを知り、読書に対する耐性というか、自分は本をちゃんと読めるんだという自信を持てたんだと思います。

 

 環境的には、1日が暇すぎてやることがなかったことが大きい。

 一人っ子なので一人時間を過ごすのが苦ではないのですが、親しい友達もなく、東京にいる頃は塾だ、習い事だの毎日でしたが、それも無くなって暇を持て余している。それで読書に走ったようです。

 それからはもう、乱書乱読に明け暮れていました。

 だから自然と、放課後に学校の図書室に通う事が日課になりました。

 そんなある日、何の本だったか覚えていないのですが、『ホモ』と呼ばれる同性愛に関する記述を見つけました。

多分、ギリシャやローマ文化に関する書籍だったように思います。

 それが端緒となって同性愛について興味関心が湧て調べまくりました。

 関連図書を読み漁り。

 一通り、同性愛についての学び、知識を得て。

 その結果、自分自身のあり様を明確に認識しました。

 

    …僕って、ホモなんだ…

 

 話しは逸れますが、最近はゲイを『ホモ』と呼ぶのは蔑称らしいですね。ただ、当時は現在のゲイに相当する形容がホモだったので、ここでは『ホモ』と形容しています。

 

 正直なところ、幼稚園生の頃から薄ぼんやりと『ホモ』の自覚はあって、その頃から、男の子の方が女の子より好きでした。だからと言って、当時からオネエキャラだったかと問われるとそんなことは無く、どこにでもいる男の子だったと思います。

 オネエキャラでもなかったし。

 今でもそのスタンスに変わりはなく、そこらに居るオッサンと変わりなく日々を送っています。

 ただ当時、子役をやらせてみたらなんて言われたことはありました。母にそう勧める人がいましたが、母は芸能関係が好きではないでよく断ってました。

そう考えると、顔立ちは整っていたかもしれません。

 まぁ、これはプチ自慢です。

 幼稚園でも小学校でも、女の子からも「好き」なんて言われたりされた記憶はありますが興味なくて、嬉しくも無かったのを覚えています。

 男の子の友達とばかり遊んでました。

 ただ、男が男を好きになるのは「オカマって言うんだからね」と周りの大人たちが侮蔑混じりに話す様子から『オカマってイケないんだ』と察して、子供心に気をつけながら過ごしていましたし、『オカマになっちゃいけないんだ』と、いじらしいく自分に言い聞かせてましたね。

 まぁ、その頃は性欲に無縁の日々でしたから。

 外で友達と遊ぶ、テレビを見て過ごすことだけで幸せな時代でしたから、何の問題なく過ごせたのですが、埼玉に越してから精神的な引きこもり状態に置かれて、嫌でも内省する時間が増えてしまいました。

 

 …どうも自分は、女子より男子に興味があるらしい…

 …オカマじゃ無いぞ…

 …ホモとオカマって違うの…

 

 自分と同性愛への好奇心が尽きません。

 そんな矢先、図書館で同性愛という自分のセクシャリティに邂逅したのでした。

 

 衝撃、ショックだったかって?

 いいえ。

 静かに、淡々と、「あぁ。やっぱり」って思いましたね。

 同時に、少しホッとしたのを覚えています。

自分の存在に対する違和感、日常に嵌まり切らない居心地の悪さのようなものを、本能的に感じていて、やっとしっくりできる居場所を見つけて安心できたのだと思います。

 

 …でも僕はホモだけど、女の人になりたいわけじゃないからオカマじゃ無いぞ…

 

 なんて、妙な強がりを心の中で思ったりもしながら。

 今思えば、何とも長閑な目覚めだったんだなと思います。

 この時を境に世間との間で新たに生じる『僕の違和感』が始まるなんて、まだその時の自分は知る由もありません。

 きっと嵐の前の静けさって、こんな雰囲気なのかもしれません。

比較論:原チャリ ・自転車・電動キックボート

  原付オートバイ(原チャリ)、自転車と並んで、電動キックボードが生活の足となるのか?

 ちょっと、考えてみました。

 レガシーな生活の足として定着している原チャリと自転車ですが、利用における両者の違いは運転免許の要否でしょうか。

 この違いのおかげでヘルメットの着用が義務か否かが決まり、利用における面倒臭さの度合いが若干変わってくる気がします。

 今ではそれが当たり前となっているのかも知れませんが、気軽な乗り物かどうかとなれば原チャリに比べて自転車に分があると言えます。

 スピード面で言えば、原チャリは自転車に比べて早い。

 早く、疲れずに長い距離を移動できる点では原チャリに軍配が上がりますが、原チャリが入れないような狭い道をはじめとして自転車の乗り入れ可能範囲はかなり広い。

 よって行動の自由さという点では、自転車の方が勝っているといえるでしょう。

 つまり、『速さ』と『楽』なら原チャリ、『自由さ』なら自転車が選択されやすいという感じになります。

 初期コストの面で見ると、原チャリは本体とヘルメットの購入費が必要となり、自転車の場合だと本体の購入費用で済みます。本体の値段も、平均的な機種であれば原チャリの方が自転車よりも高めという感じでしょう。

 ランニングコストで見ると、原チャリは『ガソリン・オイル代』『保険料』『税金』『駐車場代』等が必要で、自転車は『保険料』と『駐輪場代』ぐらいですか。両者を比べると、自転車の方がコストは掛からないとなります。

 荷物などの積載能力での両者の違いにほとんど差はないと思われますが、原チャリの方が若干重い物を運べる。原チャリはエンジンで動いてますから、体力勝負の自転車と比べれば前者に分があります。

 日常生活で棲み分けの成立しているかに見える両者の牙城に、電動キックボードが参入できるのか?

 今回は、独断と偏見に満ちた私の考察となります。

 自分なりの結論ですが、多分今のままだと牙城に割込むことは難しいけど、ある機能が優れるとブレイクするかもしれないと感じています。

 ある機能とは、何か?

 それは、『折りたたみ』機能です。

 折りたたみ機能が著しく進化して持ち運びが簡便となった時、電車移動や飛行機との組み合わせによって生活における移動シーンが変わると感じます。

 具体的には、出先における移動手段の選択肢が増えることになります。

 例えば、原チャリや自転車、マイカーを移動手段として使う場合、必ず停める場所を意識して行動する必要があります。

 一見すると当り前のことなんですが、実は移動の自由が『停める場所』という『不動産』によって縛られていることを意味します。

 同時に、不動産の制約があるが故に、移動利用の中断をせざる負えなくなる。

 これは、『停める場所』に移動手段を置いた瞬間から、その移動手段を放棄せざるを得なくなります。

 駅前の駐輪場に原チャリや自転車を置くや、徒歩で駅まで行き、そこから先は電車の利用。

 目的地の駅で降りた以降の移動手段は『徒歩』『タクシー』『バス』等に限られる。

 ここで初めて登場する『タクシー』と『バス』ですが、どちらも大抵の場合において駅前にあって『不動産』に付随する移動手段を選択することになります。

 『徒歩』なる自力手段を選択しないと、やはりここでも『不動産』に付随した移動手段を選択する事となります。

 何とも移動における『選択の自由の束縛』を甘受することになるわけです。

 今までは、そんなことは当たり前の常識でした。

 本当は、何となく『不便』と感じていても他に選択肢が無かったから諦めていた。

 それが本音じゃないでしようか?

 じゃあ、何故これまでそうして不便を甘受せざるを得なかったか?

 単純に電車や飛行機といった利用手段を用いると『原チャリ』『自転車』『バス』『タクシー』『マイカー』等の移動手段を、そこに持ち込む事ができなかったから到着地点での選択肢は限定を余儀なくされるわけです。

 強いて言うなら『自転車』は折りたたみ可能な物もあり持ち込み可能です。

 でも、日本で電車内に折りたたみ自転車を持ち込んで移動するシーンをどれだけ目撃したことがありますか。個人的には、これまでの人生で数回だけでした。娯楽の一環でマイカーに積み込んで持ち運びすることはあっても、通勤などの日常生活でそれをする人は少ない。ヨーロッパの鉄道だと自転車ごと乗り込めるなんて車両もありますが、日本では少ないと言えます。

 よって現状では、駅から先のラストマイルにおける移動の自力選択肢は『徒歩』しかなく、それが嫌なら『不動産』付随の選択肢を選ばざるを得なかったわけです。

 別段、それが悪いと言っている訳ではありません。何にしても『時間』をお金で買う手段が『タクシー』か『バス』かというだけのことで、買うからには楽しめば良いのです。それによって、安全で快適に目的地へ着くことはできる。

 でも、そこから先は?

 『タクシー』や『バス』の都合に合わせなくてはなりません。

 でも、それが重なれば、面倒くさくなり、苛立つ時だってある。

 レンターか。

 シェアカーか。

 どれも結局、時間と快適をお金で買うが故に『不動産』の制約に縛られ続けるという訳です。

 それを楽しみと転化するのか、苦痛と感じるのかは本人次第なんですけどね。

 そんな状況下に電動キックボードが入り込んできました。

 現状、大半の人たちはエンジン付きのスケボーの類いと感じていると思います。だから普及しないで消えていくも思ってるだろうし、皆さんの予想通りの展開で終わるかもしれません。

 でも持ち運び可能な移動手段として捉えると、違う可能性が見えてくる。

 それは『移動の自由の享受』の様にも感じます。

  実は、この『自由』が世の中を変えたりします。

 例えば、好きな音楽を場所と時間を選ばずにいつでも聞きたいという『視聴の自由』がウォークマンを産み出しました。

 そして、その『視聴の自由』が40年後に『You Tube』へと進化して現在に至っています。

 元々軍事用途で構築されたインターネット。

 そこに瞬時に情報を知りたいという知的欲求が注ぎ込まれ『情報を得る自由』が膨らんでいった結果、現在のネット社会へと進化していった。

 欲望と自由が、社会や生活を変える原動力なんですよね。

 だから、電動キックボードが『移動の自由』の魁となった瞬間、それまでとは違う行動様式や生活スタイルが生まれる予感がします。道具としてブレイクする対象が現在の電動キックボードとは限りませんが、そこに『移動の自由』への希求がある限り変革が起きる予感がします。

 

 かく言う私ですが、実は買ってません。

 値段がもう少し下がってからと思いますが、実現して欲しい機能があれば検討しようかなと思っています。

 あったら良いなと思う機能は三つです。

 

 1つ目は、折りたたみ軽量化ですね。

 持ち運べる移動手段となるなら必須です。

 軽量化が進めば宅配との組合せで使うのも悪くない。

 飛行機を利用した旅行の場合、出発空港で荷物と一緒に預け、到着空港で受け取って直ぐに使うなんてことも可能で便利かもしれません。

 

 2つ目は、ヘルメットの据え付け機能。

 ヘルメットって場所取るし、使わない時はお邪魔虫なんですよね。

 電動キックボードを部屋に持ち込んで充電している時にヘルメットが別の場所にあるとウザいじゃないですか。

 

 3つ目は、EVキックボードの『キャリアー化』です。

 踏み台に旅行ケースとか置いて、ハンドル支柱の折りたたみ機能を使って荷物を固定して運べるようにできないかと。

 それがあると電車に乗る時に自動改札とか抜け、車内に持ち運びの面で何かと楽になると思います。

 

 是非、機能実現して欲しいなぁと願っております。

 

EVキックボードがあれば

『電動キックボード。公道解禁』

 

 記事を読んでいて去年の出来事を思い出しました。

 

 2020年3月。

 ある日の朝、叔母の看護ヘルパーと名乗る女性から電話がありました。

 

「…突然、警察から入ると驚かれると思って電話しました」

「はぁ…」

「叔父様。実は、自宅でお亡くなりになって発見されたんです」

 

 彼女は認知症を患っている叔母のヘルパーさん。その日、彼女は叔母の転院の件で話しをするため叔父の家へ行ったところ、自宅で亡くなった叔父を発見とのことでした。

数年前から、叔父は自分も含めて親戚たちとの付き合いを断っていました。ヘルパーが彼女に変わって、頑な叔父から漸く聞き出した連絡先が自分だったようです。それで彼女は、叔父の死を私に一報してくれたのでした。

 そのヘルパーさんとの電話を切って程なくして警察署から電話が掛かってきました。

「ご遺体の引き取りをお願いできませんか」

 そんな経緯から、叔父の遺体を引き取るために私は奈良へ急遽向かったのでした。

 

 コロナの緊急事態宣言直後、不要不急の外出は控えろとのお達しにより出歩く人々は疎らでした。少し前まで、人出で賑わっていた街に人の姿は殆ど見られません。乗り換え駅の池袋駅も閑散としていまいた。

 山手線の乗客も、車両に10人居れば賑やかに感じられます。ただ、どの乗客も互いに近づくことを避けて立っていました。席は空いているけど、誰も座ろうとしない。空気が澱む座り位置に留まると思われているコロナウィルスを嫌ってのことでした。

 昔、『復活の日』というSFのベストセラー小説がありました。その中で、電車で通勤途中のサラリーマンが咳をして睨まれるという場面がありましたが、その緊迫した雰囲気をリアルで感じるような車中風景でした。

 品川駅で降りて新幹線に乗り換えましたが、ここにもまた人が居らず、新幹線のプラットホームで漸く10人前後の乗客を見るような有様でした。余りの乗客の少なさに、不要不急とは言え、奈良に行って本当に良いのだろうかと妙な罪悪感に襲われました。

 何より驚かされたのは、新幹線に乗ってからでした。

 車両に自分も含めて、乗客が三人しか居ないのです。

 …貸し切りって、いつ以来だろう…

 等と不謹慎な事を考えてました。

 名古屋を過ぎた頃、刑事さんから連絡がありました。

 

「何時ごろ到着されそうですか?」

「夕方の6時前後になると思います」

「気を付けてお越しください。私の方は、少々遅くなっても大丈夫ですので」

「ありがとうございますむ

「余計なことかもしれませんが、来られる前までに葬儀社と連絡を取られると良いかもしれませんね」

「えっ。葬儀社ですか?」

「はい。ご遺体のお引き取りの後、連絡されると時間が掛かりますから。無理にお勧めはしませんが…」

「葬儀社と言われてましても。どこかご紹介頂けませんか?」

 

 紹介された幾つかの葬儀社から連絡の即取れたところに決め、警察署で待ち合わせをする段取りをとったのでした。

 警察署のある最寄り駅に到着したのは夕方6時過ぎでした。

 刑事さんからとネットで調べた情報から、警察署は駅から歩いて行けそうな感じだったので向かいました。しかしながら、実際に歩き出すと不安が募ります。土地勘が無いから本当に道が合ってるのかから始まり、日はどんどん暮れていく、距離も長く感じる等、諸々に心細さを感じるのと、何だか疲れて歩くのも嫌になる。こんな時はタクシーに乗るのが一番良いのですが、国道を行き交う車は多いけどタクシーは全然通らない。

 バスでも良い。

 自転車、あれば好いなぁ。

 そんなボヤキを呟きながら、トボトボと歩くのでした。

 後で知ったことなのですが、奈良って流しのタクシーが走ってないらしい。だからタクシーを利用する時は、配車センターに電話をするお作法らしいです。でもこの無知が、後々私を更なる披露へと誘うことになろうとは、この時は露ほども予想していませんでした。

 警察署に入ると、若い私服警官が応対してくれました。このひとが叔父の件を担当してる刑事さんペアの一人でした。メインはもう一人らしく、呼びに上がり、程なくして彼を連れて戻ってきました。

 刑事さんって聞いたので、強面、スーツと思い込んでたんですが、実際には二人ともラフな服装で、拍子抜けするほど丁寧で腰が低い。その日が夜勤らしく、服装はそれでラフだったようです。

 手続き、確認、聴取、事情説明など1時間ほどのやり取りで終わり、叔父の遺体に会いたいと申し出るとOKされました。

 叔父は眠っているような、肩の荷を下ろしてホッとしたような、そんな死顔でした。

そんな叔父の顔を見て、何だか自分も安堵させられました。

 

警察署の駐車場で、先に連絡した葬儀屋さんと会いました。これからの段取りやら何やらの話の最後に、ご遺体の保管や火葬に死亡診断書が必要なので明日貰えないかとのことでした。私も明日には戻らなければならない事情があり、そうなると今夜中に死亡診断書を手に入れる必要がある。叔父は、自宅で亡くなっているので検死を受けており、死亡診断書は検死を担当した医師が出してくれるようでした。打合わせの後、刑事さんにそれを話すと受取れる段取りをつけてくれ、急遽、当該の病院へ向かうことになりました。

 

「タクシーで行かれますか?」

 刑事さんが尋ねます。

「タクシーですか?」

「呼ばないと、拾えないですから。電話で呼んだ方が良いですよ」

 

 助言に従い、呼んだタクシーに乗って病院へ向かいました。

 夜の8時を回ってましたね。

 病院。

 閑静な住宅街のど真ん中にあるんです。

 タクシーの道中で今夜泊まるホテルと病院の位置関係を調べると、歩いて行けそうな感じなので帰りは車でなくても大丈夫だなと、楽天気分でした。

 病院で出された書類には、死亡診断書ではなく『死亡検案書』とありました。検死の場合はこう言うのだろうかとぼんやり思いながら病院を後にし、ネットの地図を見ながら道を進みましたが、段々、何とも心細くなって。静かで、暗過ぎて。人が居ない。車なんか一台も通らない。いいや、通る気配すらない。少し歩くと、古墳を整備して公園にしたような場所にぶち当たる。本当にこの道で合ってるのかと、不安が募り、寂しかった。

 タクシーなんか期待できない。

 兎に角、歩き続けて20分。

コンビニを見た時の嬉しさと言ったら、格別安堵でした。

国道に出て、駅に向かう途中でホテルを見つけ。

ホッと、一安心でした。

ホテルも人が居なかったなぁ。

地下に温泉風呂があるのですが貸し切りみたいな感じで、ちょっと贅沢できましたが。

翌日も朝から忙しく。

葬儀屋さんに会って『死体検案書』を渡し、叔母が入院している病院へ行って面会と主治医に会い、ケースワーカーの方と打合わせです。病院が駅からかなり離れていて、往復はタクシーでした。帰りのタクシーの運転手さんから、奈良には流しのタクシーが無いので電話で呼ぶんだという作法をこの時初めて聞かされたのでした。

首都圏感覚でタクシーを利用できないんだなと、良い勉強させてもらいました。

 

『電動キックボード。公道解禁』

 

 こんな記事を目にして、あの時にこれがあったらとシミジミ思います。

 もし持っていたら、持って行ってたかなぁと思いますが。

 タクシー事情やお作法を知ってたら持って行ったかもしれません。

 折りたためば、電車に乗って持って行けるし、折りたためばホテルの部屋に置いて置けば良いし、折りたたまず駐輪場に置いても良い。ホテルに置いてる間に充電しておけば次の日も使えますしね。

観光地に持って行けば、行動と楽しみの幅が広がるかもしれません。

 

 たた一つだけ、懸念が無くもないのですが…。

個人的な事情でして。

それは、自分がとても方向音痴だと言うことです。

この便利な乗り物に乗って、とんでもない所へ行ってしまったらどうしよう。その挙句にバッテリーが切れてしまったら、どこで充電すれば良いんだろう…。

取り越し苦労かな。

さくらショッピング

 ガリッ、ガリガリ

 煎餅を噛砕く音。

           *

 名前:河合真理子

 年齢:41歳

 属性:専業主婦

 家族:亭主、中学2と幼稚園の息子たち

 娯楽:通販

 恋:宅配の吉本くん

           *

 SNS:小泉明日香→河合真理子

           *

 名前:小泉明日香

 年齢:53歳

 属性:コンビニバイト主婦

 家族:亭主、高2の娘、中2の息子

 娯楽:SNS

 恋:忘却

           *

 真理子、TVオン。

           *

「さくらショッピング!」

(男性ナレーションの声)

「あの楊貴妃も愛したハトムギなど美肌生薬と高麗人参などの元気活力生薬、29種類をキュッと配合。30年以上愛され続ける『元気、若みえ楊貴妃ジェル』の登場です」

(拍手)

「40代もッ」

(41歳女性モデル顔写真)

「50代もッ」

(53歳女性モデル顔写真)

「70代だってッ」

(75歳女性モデル顔写真ドーン)

(大ドヨメキ)

「男性にも良いんですよォ~」

(唸る、ドヨメキ)

「お肌ツヤツヤ、元気いっぱいッ」

(4点商品ドーン)

「本日は『元気、若みえ、楊貴妃ジェル』累計販売1000万個突破を記念してスペシャルセットをご用意致しましたので、最後までお見逃しなくッ」

(大拍手)

           *

 麻里奈、放置中の明日香からのSNS確認。

『暇?』

 …やれやれ。暇じゃないわよ…

『なに?』

『お茶しない?』

 常連化している近所のファミレスが頭を過る。

『今すぐ?』

『用事中?』

『テレビ。通販番組』

『何を見てんの?』

『さくらショッピング』

『あたしも見てる』

 麻里奈、苦笑。

楊貴妃ジェル。怪しくない?』

『そう?』

『どうなの?』

『ロングセラー。結構人気よ』

『ふーん』

 ガリッ、ガリガリッ。

『通販。ハマってるって?』

『何よ?』

『亨が言ってたわ』

『誰に聞いたのかしら?』

『恵一君』

 …母親ネタで親友同士盛り上がるなんて。どういう息子たちなの…

『ハマってないわよ』

『怪しい』

『ただ、注文が重なっただけよ』

『まぁ、良いけど』

           *

「さぁ~みなさん。大人気、ネフェルトの楊貴妃ジェルのご紹介です」

(女性MC、テキパキ)

(MCと三人のゲスト。その後で座る奥様風の一般ゲストたち) 

(ゲスト1:有岡ふゆみ。61歳。女優)

(ゲスト2:ハル。44歳。オネエタレント)

(ゲスト3:須藤夏希。元女子アナタレント)

「随分売れたって?」

(ふゆみ、MCをジロリ)

「はい」

「大人気よ」

(ハル、絶賛)

「美肌にスゴイんですよね」

(夏希、MC振り)

「はい。本当にスゴイんです。私の『手』でそれを実感頂きましょう」

(MC、左手だけにジェルを塗り左右を見せる)

(一般ゲスト、ドヨメキ)

「美肌」

(ふゆみ、引き攣り気味に微笑)

「これが、楊貴妃ジェルの実力なんですッ」

           *

 ガリッ。

 麻里奈の煎餅を齧る音が響く。

『何でバカ売れなのよ?』

『美肌の他、元気になるって』

『?』

『夜よ。ネットの噂だけど』

 ガリガリ

『有岡ふゆみ。太ったわね』

『そう?』

『昔は細ったのに』

『いつ?』

『40年以上前』

『あたし、生まれたて』

『清純派だったわ』

『清純派って何?』

『死語ね。オバサンの忘れ物かな』

『フフっ』

『ふゆみ様。貫禄だわ』

 ガリッ。

『うわっ』

『?』

『ハル。44歳だって』

『意外と若いのね』

『うちの旦那と同じ歳』

 ガリッ。

『須藤夏希。誰?』

『元女子アナのタレント』

『詳しいわね。ファン?』

『違うけど』

『?』

『ネットで調べた。今年、53歳』

『あたしと同じ歳なの?』

『かなり若みえ』

『ジェルの効果かしら?』

『(笑い)』

 ガリガリッ。

『MC。ここの専属?』

『知らない。何故?』

『式場の司会に似てた』

『そら似よ』

 ガリガリガリ

『実演販売』

『スーパーでたまにやっるわ』

『MCも身体張って大変ね(笑)』

『左の甲。キラッてる?』

『金粉じゃない?』

『詳しいのね?』

『えっ?』

『金粉』

『そう見えただけよ』

 ガリッ。

           *

(男性ナレーションの声)

「ここでネフェルトを長年ご愛用頂いてるスペシャルゲストの登場です」

(大拍手)

スペシャルゲストの元アイドル夫妻登場)

(その1:秋本しずか。40歳。女優、タレント)

(その2:秋本裕也。44歳。食レポタレント)

「しずかちゃん。相変わらずキレイね」

「ふゆみさんたらァ」

(しずか、嬉し気)

(裕也、ニヤニヤ)

「お二人は楊貴妃ジェルを普段愛用されてるんですよね」

「そうなの。夫婦で使ってます」

(裕也、ニヤニヤ頷く)

「だから。二人とも。美肌つやつやね」

(ハル、うっとり)

「ハルさん。裕也さんを触っちゃダメですよ」

(夏希、窘める)

(ハル、ムッ)

「裕也さん。ジェルは男性にどうです?」

「とっても元気になれます」

(裕也、ニタつく)

(しずか、キッと睨み)

「美肌元気よ。私達、美肌で自信を取戻しました」

「ここで、普段ご夫婦でお使いの様子の映像をご覧下さい」

(二人、お宅自慢)

(一般ゲスト、歓声)

(すっぴん夫婦、ジェルの塗り合い)

(二人の顔、アップ)

「お二人の美肌艶々。これが楊貴妃ジェルの実力です」

           *

 ガリッ、ボリッ。

スペシャルゲスト。この二人なの?』

『ダメなの?』

『うん。まぁ…』

『一般ゲストみたいな人たちに元や現在ファンが多のよ』

『確かに。二人とも一世を風靡してたものね』

『あたしもその一人』

『えっ。麻里奈さん。どっちの?』

『裕也』

 ガリッ。

『裕也。見る毎膨脹してるけど』

『最近は食レポよ』

『食べ過ぎよ』

『でも。何か色気を感じるのよね』

『元気らしいから。夜も充実してるんじゃない?』

『それって楊貴妃ジェルの実力かしら?』

『ネットの噂は真実?』

『旦那に試そうかなぁ』

『(笑)』

『うちの旦那。裕也と歳が同じなの』

『44歳も色々ね。ご無沙汰なの?』

『やり方を忘れるくらい』

『(笑)』

 ガリッ。

『この二人、何で結婚したんだっけ?』

『できちゃったからよ』

『そうそう思い出した』

『ショックだった』

『そう』

『どこが良かったのかしら?』

『しずか?』

『うるさいし』

『それ。笑える』

『(苛々)』

『でも尻に敷かれてる感じね』

『裕也?』

『そう』

『増々、ムカつく』

 ガリガリッ。

『ゴメン。ちょと外す』

(SNS中断:2分35秒)

『ゴメンね』

『大丈夫?』

『宅配便。荷物受け取ったから』

『通販?』

『茸セット』

『椎茸嫌いじゃなかったっけ?』

『旦那が好きなの。他のも色々入ってる』

『それだけ?』

『何よ』

『配達の子ね』

(返信ナシ)

『若い子。幾つ?』

『27歳』

『良いわね。うちのエリア担当、オジサンだし』

(返信ナシ)

『イケメンね?』

『ちょいジャニ』

『(笑い)』

『好いでしょ。密やかなお楽しみなの』

『名前は?』

『吉本くん』

『独身?』

『指輪してない』

『妄想恋』

(返信ナシ)

『荷物受け取る時、さり気なく手とか触ってるでしょう』

『えっ、何で?』

『オバサンのセクハラ。バレてるわよ』

『マジ?』

『(笑)』

『何で分かるの?』

(返信ナシ)

『明日香さんも経験あり?』

(返信ナシ)

『あるんだ。誰?』

『云わない』

『バイト先のコンビニのバイトくんね』

『えっ。何で分かるの?』

『引っ掛かった(爆笑)』

『でもその子。ゲイだったわ』

『何で分かったの?』

『彼氏。毎日来るの』

『聞いたの?』

『うん』

『流石、明日香さま。それで?』

『何の躊躇いもなく彼氏ですって』

『近頃はオープンね』

『相手も紹介されたわよ』

『50過ぎて失恋。辛いわね』

 ガリッ。

『ふたりのアップ。生々しい』

『艶々。あっ、キラッ輝る』

『そう?』

『金粉配合だって』

『ネット情報?』

『そう』

 ボリッ、ボリッ。

『ご主人。お幾つ?』

『59歳』

『若みえね』

『マラソンやってるからじゃない』

『来年、定年?』

『厭だぁ』

『あら』

『元気過ぎて困るの』

『お盛ん?』

(返信ナシ)

『ふふっ』

『拒否』

『(笑)』

『再就職させないと』

 ボリッ。

           *

「今回、1000万個販売突破を記念してネフェルトでは、一ヶ月間たっぷりお使い頂けるスペシャルセットをご用意しました。さて気になるお値段は…」

(無音、3秒)

「ズバリ、9000円ですッ」

(大歓声)

(大拍手)

楊貴妃ジェル2本に3点セットからお得です」

「でも。これで終わらないわよ」

「記念セールだしね」

「はい。今日は販売責任者の丸山専務が会場にいらしてます。早速お呼びしましょう」

(丸山専務。48歳。男性。にやけ。若みえ)

(専務、走って登場ッ)

「専務。お願い」

(ハル、祈る)

「分かりました。記念ですから。お値段9000円を…」

(丸山専務の顔アップ)

(全ゲストの視線、専務に集中)

「ズバリ6000円引きの3000円でお願いしますッ」

(ドヨメキ、大歓声。喝采。大拍手)

「専務。大丈夫ですか?」

「大丈夫です。一人でも多くの方に楊貴妃ジェルをお使い頂きたいですから」

「でもねぇ。皆さんは送料って、気になりませんか?」

(ハル、煽る)

「はい。分かりました。送料もネフェルトで負担致します」

(大拍手)

「更にご心配なくお使い頂きたいので、30日間返金保証をお付けします」

(大歓声)

「使い切っても?」

「大丈夫です。ご返金致します」

(大歓声、大拍手)

「使い切ればちゃんと解るわよ」

「はい。当社の自信商品をお使い倒し下さいッ」

           *

 ガリッ、ガリガリッ。

『9000円ですって。高くない?』

『心配しなくても下がるわよ』

『ハルとふゆみ。ツッコミ入れてる』

『お約束じゃない』

 ボリッ。

『専務ですって。何歳かしら?』

『タイプ?』

『まさか』

『元気っぽい小走り』

『息切れ。してない』

『若みえね。案外50歳前後よ』

『専務だし』

『お肌。裕也みたい』

『艶々?』

『脂も』

楊貴妃ジェルの威力ね』

 ガ、ガリ

『5000円引きですって』

『それでも元は取れるのよ』

『原価っていくら?』

『知らない』

『安いの?』

『まだ、ここからよ』

『明日香さん。普段、通販番組なんか見てたっけ?』

『なんで?』

『番組展開に詳しいみたいだから』

『大体そんなもんじゃない』

『そうなの?』

『追込みかけてるの』

『あっ。送料無料になった』

『でしょう。返金保証も付けるわよ』

『あっ。ほんとね』

(返信ナシ。30秒)

『どうしたのよ?』

(返信ナシ。15秒)

『また、宅配の吉本くん?』

『明日香さん。怪しい』

『何が?』

『通販』

『えっ?』

『ハマってるあたしより詳しいもの』

『そう?』

『実は、ハマってる?』

『ハマってないわよ』

『ふふっ』

『ほら。使い切っても全額返金保証よ』

『?』

『買うんでしょ』

『買わないわよ』

『買うくせに』

『買わないって』

『2本よ』

(返信ナシ)

『自分で1本。ご主人専用で1本。別々で使えるわ』

(返信ナシ)

『一か月間。とことん試してみたら?』

(返信ナシ)

『使い切っても、返金保証だし(笑)』

『もう。買わないわよ』

『そう。フフッ』

『(苛)』

 バリバリッ。

『オペーレータ増員って言ってるけど、中々繋がらないのよねぇ』

『ほら。もう買う気になってるわ(笑)』

『買わないから』

『幼稚園のお迎え。何時?』

『2時』

『お昼とお茶しない?』

『そうねぇ』

『あっ、コールセンターに電話するのに忙しいっか?』

『忙しくないから』

『バイキングのメニュー変わるらしいわよ』

『そうなの?』

『行きましょうよ』

『1時で良い?』

『OK。待ってるわ』

『了解(笑)』

 麻里奈はSNSを終えるとカメラに切替、自分の顔を見た。

 …元気ないかしら…

           *

(テレビ、コールセンターの電話番号が大映し)

 …最近、お肌に潤いが足らないのよね…

(男性ナレーションの声)

「40代。この艶々美肌と元気を取り戻しましたッ」

 …旦那も自信取り戻せるか…

 麻里奈はコールセンターに電話をした。

 …どうせ、繋がらないわよ…

 ちょっと馬鹿にした表情でクスッと笑う。

(機械音声)

「お電話ありがとうございます。ネフェルト社受付センターでございます。通話内容は弊社の応答品質向上のため録音させて頂きますことをご了承願い致します」

女性オペレーターの肉声。

 …あら。一発で繋がっちゃった…

「お電話ありがとうございます」

 …買えって運命かしら…

「ネフェルト社、楊貴妃ジェルスペシャルセット受付センターでございます」

「ああ。河合と言います。スペシャルセットを注文したいんですけど」

楊貴妃ジェルスペシャルセットの注文でございますね?」

「えっ。あっ。はい。2セット注文したいんだけど」

「2セットでございますね。ご注文ありがとうございます。ではお受付の手続きに…」

           *

 午後12時56分。

 待ち合わせ場所のファミレス。

 明日香は既に来ていた。

「ごめん。待った?」

 斜向かいに座る明日香の顔を見て、麻里奈は心の中で呟いた。

 …金粉…

「いいえ。さっき来たわ」

  そう言って微笑む彼女の頬は、美肌艶々で紅くほんのり染まっていた。

                       (END)